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【同志社大学村上先生に聞く】
~データサイエンスを志す後継へ~

2016/02/25

  • 語り手 同志社大学文化情報学部教授
    統計数理研究所名誉教授  村上 征勝 氏

※登場する方の所属企業、役職等は当時のものとなります。

はじめに

イー・ファルコンの見える化を支えるコア技術『データサイエンス』。この世界を切り開き、発展させた、統計学者林知己夫先生。その後継にあたる村上征勝先生が林先生から受け継いだもの、自らの後継である鄭躍軍先生、そして林先生の思いを受け継ぐすべての後進、データサイエンティストが心得ることは何か。 当社顧問であり、適性検査eF-1Gの監修者でもある村上先生にお話をお伺いいたしました。

恩師 林知己夫先生の人間観

──村上先生にとっての林先生とは?

わたしが統計数理研究所に入った1974年に、所長に就任されたのが林知己夫先生です。しかし、わたしは数量化理論を勉強したことは無かったので、研究の相談に乗っていただくことはまったく考えてなかった。ところが、林先生はそんなことは意に介せず、自分のところに来る人も、来ない人もしっかりと見ておられた。そして、折に触れ気軽に声をかけ、ここぞと言うときには助けてくれる。わたしが日蓮遺文の真贋判定の研究に統計を使ったとき、理系思考の研究者には理解されず、冷ややかな目でみられていた。そういういう状況のなかで、ただひとり「おもしろいじゃないか。ありきたりのことをやっていては駄目だよ。失敗してもいいからやってみろ」と励ましてくれたのも先生でした。

林先生は世界が認める統計学の第一人者、立派なお弟子さんたちがたくさんいます。わたしは弟子としては末端の末端。そんなわたしにも目配りをしてくださったところにも、先生の人柄があらわれているのでは。研究者も人間ですので権力には弱いのですが、先生は全く違っていた。例えば、スタンフォード大学留学時の学友である鳩山君が官房副長官になった時のこと。彼が政治家になった時にアドバイスをお願いしたので、「また鳩山君にアドバイスを」とお願いしました。でも先生は、「あいつは今、いいじゃないか。困っているのなら会うけれど、今の彼に俺がアドバイスする必要はない」とあっさりと断られました。必要なら助けるが、政府の要人ということだけで会うことをしない方でした。研究者として優秀な人はたくさんいますが、権威と無関係に研究者として生きたと言う点で、林先生にかなう人はいない。先生に出会わなければ、わたしの生き方は変わっていたと思います。

──自らを林先生の後継者として意識したきっかけは?

自分で後継者などと考えたことはまったくありません。先生の所長時代は多くの研究者の顔は先生の方を向いていた。それが所長職を退かれた途端、雰囲気ががらりと変わったことに、わたしはびっくりして、先生と食事をしたときに思わず、「研究所にはいたくないので辞めます」と申しあげました。すると、先生はしばらく考えてから「悲しいな」と一言だけ。それを聞いて考えたことは、「わたしが辞めてしまったら、この研究所に林先生の教えを継ぐ者は誰もいなくなってしまうのではないか。残らなければ」でした。後で考えれば、汗顔の至りで、表面には出さずとも先生の教えを引き継いでいる人は研究所におられたと思いますが、私が未熟でそこまで考えることが出来なかったんですね。わたしは研究所の雰囲気の急変に驚いたし、腹も立てていたけれど、先生は「人間とはそういうもの」と淡々と受け止められていた気がします。

じつは今日しているネクタイは先生の形見として、奥様からいただいたものです。先生が入院されているとき、著作集の編集を進めていましたが、著作集作成の言いだしっぺが私であったこともあり、病床の先生の元へ見舞客が来るたび、「村上を助けてやってくれよ」と言っていたとのことです。それを聞いておられた奥様が、「これだけはどうしても先生に受け取っていただきたい」と、先生のお気に入りだったネクタイと名刺入れを形見としてわたしに。これには感激しました。このネクタイは学会などにはして行かない、偉いお弟子さんたちに「なんでお前が」って怒られそうですから(笑)。

後進に引き継ぐために

──人材育成への思いをお聞かせください

林先生が統計数理研究所の職を辞したとき、やっとこれで雑音を気にすることなく教えを乞うことができると思い、勉強会を先生にお願いしました。「なにを勉強したいのか」と問われ、「データの読み方を教えていただきたい」と。わたしが古い文献の分析をしていたとき、本物か偽物かという軸しかもたないわたしに、時間軸を設定して変化の仕方を見たらどうかなど、先生が新たな視点でのデータの読み方をおしえてくださった。理論や数式は本を読めば分かる。林先生がお持ちの他の人とはまったく違うデータの読み方、ものを見る視点は、先生から直接でないと学べない。また、自分が林先生の教えを乞いたいという気持ち以上に、若い人たちに林先生の教えを乞う機会を作ってあげたい、作らなければならないと強く思いました。先生は偉すぎて、研究所内でも若い人が近づけないところがありましたから。そうして1991年にスタートしたのが『木曜会』であり、後にイー・ファルコンの菅原さん等も共に学び、意見を交わす場となりました。会は、形式に囚われない自由闊達なものでした。話題を予め決めないで始まることが多かった。参加者である弟子が質問し、林先生が答える。そうかと思えば、林先生が突然、問いかけたり、堰を切ったように語り出す、どうしても伝えたいことがあったのでしょう。こうした対話を通じて、林先生の発想やデータの見方を学んでいきました。研究者の勉強会にありがちな理論や数式は、あまり出てこないことが印象的でした。

あと、先生の蔵書が文化情報学部の文献室に『林知己夫文庫』として、1000冊ほど保管されています。じつは、わたしが林先生のお宅の書庫に行ったとき、すでに統計に関する本はほとんど譲られた後でした。でも、むしろ残っていた本にこそ先生らしさを感じさせるものが多く、先生は『おばけ調査』といったユニークな調査もしていて、そのために揃えたのか、妖怪やお化けに関する書籍もたくさんあります。お化けを信じる人とそうでない人は何が違うのか、というようなことが研究テーマになるのです。お好きだったラグビーの本や、骨董の本、心理学の本からイソップ童話まであります。こうした本を学生たちが読むことで、先生のユニークな発想の源泉にほんの少しでも触れることが出来たらいいなと思っています。

データサイエンティストの心得

──調査を行うときに注意すべきこととは?

林先生がこう言われていました。調査というのはこういう質問をしたら、こんな答えが返ってきた、ただそれだけのこと。これが大原則であることを忘れてはならない。例えば、「エイズは危険ですか」と聞けば、ほとんど人は「はい」と答える。でも、「世の中に危険なことはいろいろありますが、あなたはなにを危険だと思いますか」と聞けば、航空機事故や地震と答える人はいても、エイズと答える人は極めて少数派となる。つまり、何を問いかけ、それへの答えが何を意味しているのか、これをよくよく考えて質問を設計し、結果を解釈することが大事となるわけです。

また、調査というのは一回やっただけではあまり意味がない、継続にこそ意味がある。これを林先生はよく話されていました。ある質問で60%の「はい」が返ってきたとしても、それをどう解釈すべきなのか。それは高い数値と解釈すべきものなのか。聞き方一つで結果は変わるわけですから、高い低いを論じるのは実は難しい。最もやっかいなのは、調査をすると嘘をつく人が一定割合いること。例えば、選挙の投票率に関する調査で、選挙後の調査では、選挙に行ったと答える人の割合が実際の投票率よりも高くなる。この例に限らず、どんな調査でも嘘つきは一定割合はいて、調査内容がプライバシーに関するものになればなるほど、その割合は高くなる、これも意識しておかないといけない。

しかし、毎年同じ質問をし続け、その数字が60%、50%、40%と減っていったなら、その変化こそは世の中の流れを正確に表している真実といえる。一定数いるであろう嘘つきも含めて。50年に渡って継続されている国民性調査で同じ質問を毎年繰り返ししているのも、そういうことです。継続調査の重要性を強く主張されたのは、先生が初めてだったのではないかと思います。

継続の重要性に関してはイー・ファルコンでやっている適性検査も同じでは。一回限りでは分からないことが、継続して毎年やることで変化として表れてくる。その変化の要因を探っていけば、人間関係に問題があるとか、仕事の内容が合っていないんじゃないかとか見えてくる。もっと言えば、この人に必要な社内教育はなにか、力を発揮できる部署はどこなのかなども分かるかもしれない。今取り組まれている「人材の変化」「成長の因果」は、統計上の真実を見つけるという観点からもよい取組みだと思います。

──調査を行なう者への心得は?

先生はある時、あるエリアにいるウサギの数を数えたいと考えて冬の佐渡に渡り、そのエリアに長方形の境界線を引き、ウサギの足跡が境界線を何回またぐかを数えた。次に確率論を使って計算し、頭数を導き出した。最後はハンターの方たちにウサギを追い込んでもらい頭数を数え、自分の理論と合っているか答え合わせをしたそうです。動き回る動物を数えるのはものすごく大変。誰もそんなことをしようなんて考えない。でも、先生はなされた。この話を先生がわたしにした意味は、研究者たるもの、興味がわいたら、思い立ったら、現場に出かけて行って行動あるのみ。学問の研究において、今日の真理は明日の真理ではない、つねにチャレンジをし続けなければならないということだと理解しています。そして、わたしも後進のみなさんに同じことを期待したい。

先生の直系の後継者であり、適性診断の開発において、イー・ファルコンと共同研究をしている鄭先生はまさに林先生が優れた研究者はこうあるべきと考えたであろう条件、人間性、頭脳の明晰さ、発想力、チャレンジ精神のすべて兼ね備えた人物。ですから、わたしは鄭先生、イー・ファルコンが林先生の思いを受け継ぎ、どんどん活躍の場を広げていってくれることを大いに期待しています。

──先生、貴重なご助言、ありがとうございました。また、同志社大学でのご活動、本当にお疲れ様でした。(※注)

(※注)村上先生は、同志社大学文化情報学部を新設する際の中心的役割を担い、初代学部長を務められました。この春に定年退職を迎えられます。写真は学部棟「夢告館」前にある定礎で、2005年1月と印されています。設立準備時から同学部の基礎を築かれてきました。 先生が同志社大学からの要請にお応えしたのは、京田辺のキャンパスが母校スタンフォードと似た雰囲気だと仰っていたのが印象的でした。縁を大切にする先生の人柄が覗えるエピソードの一つです。

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