いくつかの国際調査で、日本の青少年は自己肯定感が低いという結果が出ています。
また、そうした傾向は成長につれて強くなるという調査結果もあります。*1
このような状況を受け、現在は学校教育で自己肯定感を高める方法論が検討されています。*2
しかし一方で、自己肯定感を高めることが科学的に証明されているマインドフルネスの提唱者は、弱さを含めたそのままの自分を受け入れることこそが真の自己肯定だと説きます。
また、カリスマとして名を馳せた経営者でさえ、「CEOに就任する人で自分はそのポジションにふさわしいという自信をもっている人はめったにいない」と述べています。そして、「それは弱みではなく、強みだ」とも。
どうやら自己肯定感は「高いからいい」「低いのはよくない」という「善悪二元論」で語れるようなものではなさそうです。
そもそも自己肯定感とはどのようなものなのでしょうか。
また、日本の若者は自己肯定感が低いというのは事実なのでしょうか。
自己肯定感の定義にはさまざまなものがありますが、国立教育政策研究所のリーフレットでは、心理学用語 “Self Esteem” の訳語として定着した概念として「自尊感情」を挙げ、一般的にそれと同じ意味合いで用いられているのが、「自己肯定感」「自己存在感」「自己効力感」であるとしています。*2
では、「日本の若者は自己肯定感が低い」というのは事実なのでしょうか。
内閣府は2018年に満13歳から満29歳の若年層を対象に「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」を実施しました。*3
その調査項目の中から、特に自己肯定感に関わる「自分には長所がある」という項目にフォーカスしてみましょう(図1)。
出典:内閣府(2018)「令和元年版子ども若者白書(概要版)>特集1 日本の若者意識の現状~国際比較からみえてくるもの~」
https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/r01gaiyou/s0_1.html
図1のように、調査対象7か国の若者の中で、「自分には長所がある」と感じている人の割合は日本人が最も低くなっています。
こうした傾向は「自分自身に満足している」という項目でも同様でした。
この結果には、謙虚さをよしとするかどうかの度合いなど、文化差も影響しているように思いますが、このデータをみるかぎりでは、日本の若者は他の国の若者に比べて自己肯定感が高いとはいえないでしょう。
以上のような調査結果から、日本の若者は国際的にみて自己肯定感が低いという傾向が読み取れますが、それは果たして日本の若者にかぎったことなのでしょうか。
カリスマ経営者として名を馳せたスターバックスの創業者、ハワード・シュルツ氏はニューヨークタイムズ紙のインタビューで「これからCEOになる人へのアドバイス」を請われ、こう答えています。*4
経験のあるなしにかかわらず、そのポストに就いて、自分にはCEOになる資格があると信じられる人はほとんどいません。だれでも不安を抱えています。でも、その不安は強みであって弱みではありません。問題は、それをどう使うかです。
(中略)
適切なときに弱さを見せられることが、優れたリーダーやCEOの基本的な強みのひとつだと思います。
自分が抱いている懸念や恐れ、チャンスについて、信頼できるチームと率直に話し合う能力こそが、成功するために必要だというのです。
出典:The New York Times“Good C.E.O.’s Are Insecure (and Know It)” (Oct. 9, 2010)
https://www.nytimes.com/2010/10/10/business/10corner.html
シュルツ氏はまた、彼の右腕であり、スターバックスを世界的企業に押し上げた功労者のハワード・ビーハー氏についてこう語っています。*5
「ハワードは人の弱さを知っている。そしてありのままの姿を受け入れてくれる。彼のそばにいると自分を好きになれる。だから彼の周りにはいつもたくさんの人がいる」と。
それと同様のことを述べているのは、スタンフォード大学の心理学者、スティーヴン・マーフィー重松博士です。
博士がアメリカでカウンセラーになるために教わったのは、クライアントの欠点を見て、それらを改善し、よりよい方向へと変えることだったといいます。まるで、故障個所を見つけ、修理に努めるように。*6
そして、クライアントに自分自身の個人的な問題だけでなく、社会問題にも挑戦する前向きな行動をとるだけの自信を与え、抑圧から解放するような変化を生じさせようとする。
その根本にあるのは、「変化は本質的に良いものだ」という考え方でした。
ところが、博士が診療経験上、クライアントに「望み」―人生に新しい可能性をみつけられる望みを与えられたのは、「正しい変化」によってではありませんでした。
博士はこう述べています。
彼らをそのままにさせてあげれば信頼が生まれたし、クライアントは、自分は他の人と一緒にいられる、そのままの自分、そのままの状態で尊重してもらえるのだと知る。
どうやら「ありのままの自分でいられる」ということに意味がありそうです。
そのことについてもう少し詳しく考えていきましょう。
スティーヴン・マーフィー重松博士はスタンフォード大学でマインドフルネスを用いた教育を実践し、同大学にハートフルネス・ラボを創設しました。
「ありのままの自分」を受容することが大切だと説く彼の考えに耳を傾けてみましょう。
私たちは、今この瞬間を生きているようでいて、実は過去や未来のことを考え、そこに捕らわれるあまり、「心ここにあらず」の状態が多くの時間を占めています。*7
特に、過去の失敗や未来の不安といったネガティブな想いに捕らわれ、自分で不安やストレスを増幅させてしまっています。
こうした状態から抜けだし、心を「今」に向けた状態を「マインドフルネス」といい、マインドフルネスの状態に到達する手段として、めい想が行われます。
マインドフルネスがスタンフォード大学の通常授業となり得ているのは、マインドフルネスが脳と体に及ぼす強い影響力が科学的に実証されているからです。*6
めい想はさまざまな自律神経に良い影響を与え、たとえば血圧を下げたり、性的興奮や衝動性を抑えたりすることが証明されています。
また、マインドフルネスを取り入れたMBSR(マインドフルネス・ストレス低減プログラム)は、補完医療として医療現場に導入され、その結果、鎮痛剤の使用が減少し、活動水準や自己肯定感が高まったと報告されています。
マーフィー重松博士は現在マインドフルネスの先にある「ハートフルネス」を説いています。*8
英語の「mind」は、脳、認知能力、合理的・ロジカルな思考など脳の認知機能に関連づけられています。そのため、巨大ビジネスやテクノロジーと密接な関係をもち、マインドフルネス・ビジネスという商業化に結びつけられることもしばしばです。
博士がそうしたマインドフルネスから切り離したいと考えているのがハートフルネスです。感情に起因する「heart」を教育に取り戻そうとしているのです。
出典:スティーヴン・マーフィー重松 著 坂井純子 訳『スタンフォード大学 マインドフルネス教室』講談社(電子書籍版)表紙
AI時代にレジリエンス(困難な状況に直面したとき、柔軟に適応して生き延びる力)を育てるためにはEI(感情的知性)が必要だと博士は説きます。*9
メンタル面の管理や適切な行動の選択、創造性とともに、人間関係を築く力、共感力、文化的謙遜、リーダーシップが必要だというのです。
マインドフルネスの根幹をなす要素のひとつが「オーセンティシティ(本当の自分)」です。*6
オーセンティシティとは、私たちという存在の全体像です。自分が何者であるかを知り、自分の考えや感情に目覚め、自覚しながら、日常生活においてその姿であり続けることだと博士はいいます。
オーセンティックであるとき、私たちは自分の真実を表に出し、自分を偽ったり見せかけたり、隠したりしません。
オーセンティシティを強調するのは、「私たちがふだん、人前で別の自分になることに慣れきっているからだ」と博士は言います。
社会に受け入れられやすく望ましい姿だけを見せて、そうでない部分は隠し、パフォーマンスのように世間に自分を披露する。
博士は日本人に自殺が多い理由について、日本人の多くが「息ができない」という感覚を抱いているのではないかと推測します。*8
日本は真の自分を出してはいけない社会であり、それがそうした閉塞感につながっているのではないか、と。
自己肯定感は高い方がよく、自己肯定感が低い自分はよくないのだと、ありのままの自分を否定するのは、オーセンティシティとはかけ離れた方向性であることがわかります。
博士はまた、精神科医、森田正馬が編み出した「森田療法」に絡めて、あるがままの自分、つまり自分の感情や考えを変えようとしたり乗り越えようとしたりしないで、本当の自分を含めた現実を受け入れることが重要だと述べています。*6
博士は言います。
あなたはアナタだ。大きい小さいは重要ではなく、あなたはあなた自身なのだ。そのままのあなたとして必要とされ、果たすべき役割があり、目的がある。あなたがいなくなれば世界はそれだけ豊かさを失う。すべてが必要なものであり、そのどれもが大いなる全体、ひとつの有機的統一体の一部なのである。そこには高いも低いも、優も劣も存在しない。誰もが比べられない独自性を持つ、唯一の存在なのだ。
採用や人事において、自己肯定感の低い人は重用されない風潮があるかもしれません。
しかし、これまでみてきたように、自己肯定感が低い自分を否定し、無理やりポジティブな思考形態を手に入れて自己肯定感が高い自分になろうとすることは、あるいはそういう状況を推奨し、「ポジティブな自分」を目指させようとすることは、むしろ真の意味での自己肯定から遠い行為なのではないでしょうか。
私たちは意思の力によって外部状況をコントロールしようとしがちですが、それがいつもうまくいくとはかぎりません。
他の誰かや、自分についての人々の意見、相手の感情、誰かの行動などをコントロールしようと努力をするせいで、厄介な状況に陥ることも多いのです。*6
自己肯定感が低い人がいたとしても、それはその人の存在意義を損なうものでは全くありません。むしろ、その人に寄り添い、ありのままのその人を受け入れ尊重することが、その人を支え、よりよい関係構築にもつながるのではないでしょうか。
マーフィー重松博士は、「本当に自分は変われるでしょうか」と尋ねられたとき、迷わず「イエス」と答え、そしてハートフルネスでこう言い添えているそうです。*9
「全部は変えないでください、あなたはそのままですばらしいのですから」