世の中には、巧妙に人を操り、特定の行動に誘導しようとする人がいます。
たとえば、機密情報を盗もうとする標的型攻撃を企む人は、正規のメールと区別がつかないように、もっともらしい文面で巧妙なメールを送りつけます。
心理操作の有名な手法の1つに、相手を自分の思いどおりに誘導させるための心理法則「チャルディー二の法則」がありますが、この法則は標的型攻撃メールにも応用される可能性が示されています。
それはどのようなものでしょうか。
詐欺メールにかぎらず、知らず知らずのうちに人に操られ思うがままに特定の行動に誘導されることのないように、有益な情報を提供します。
詐欺にはさまざまなものがありますが、なかには仕事に大きな影響を及ぼすものがあります。
情報処理推進機構が公開した「情報セキュリティ10大脅威2023」では、「標的型攻撃による機密情報の窃取」が組織の部で第3位にランクインしています。*1
標的型攻撃は、「機密情報を盗み取ることなどを目的として、特定の個人や組織を狙った攻撃」です。*2
総務省によると、標的型攻撃メールは業務関連のメールを装ったウイルス付きメールで、組織の担当者に送付されますが、巧妙に作り込まれているため、完璧な防御対策を立てることは困難であるのが現状だということです。
ターゲットは、従来は官公庁や大手企業が中心でしたが、最近では地方公共団体や中小企業にまで及んでいます。
上述のように、「チャルディーニの法則」は心理操作の有名な手法です。*3:p.593, p.599
「チャルディー二の法則」には6つの法則がありますが、その一部の法則が標的型攻撃メールを開かせることに有効に働く可能性があることがわかっています。
それはどのようなものでしょうか。
「チャルディーニの法則」とは、アメリカを代表する社会心理学者、ロバート・B・チャルディーニ氏によって提唱された法則で、上述のように6つの法則があります。
チャルディーニの著作『影響力の武器 なぜ、人は動かされるのか』から、順にみていきましょう。
これは「他人がこちらに何らかの恩恵を施したら、自分は似たような形でそのお返しをしなくてはならない」という法則です。*4:p.35, pp.91-92
これは、私たちの周囲にある法則の中でも最強の武器です。なぜなら、人間文化の中で、最も広範囲に存在し、最も基本的な規範の1つだからです。
この法則のおかげで、他者との互恵関係が築かれ、人間関係が持続し、交流や交換が進みます。私たちはこの法則を忠実に守るべきであり、守らなければ社会的に認められないということを子どもの頃から徹底的にたたきこまれます。
そのため、恩義を受けっぱなしにしているというストレスを排除するために、人は受けた親切へのお返しに、それよりもかなり大きな頼みを聞いてしまうことが多いのです。
しかも、受けた親切が自分の望んでいないことであっても、相手が好きな人でなくても、です。
そこにプロの詐欺師がつけこんできます。
彼らは最初になにか与えておいて、相手からお返しを求めるという手法を使います。
なかには、それに応用を加えて、さらに相手を思うがままに操る人もいます。
まず、確実に拒否されるような極端に大きな要求を出し、次にそれよりも小さな要求、つまりもともと通そうとしていた要求に引き下げる。
そうすると、要求の引き下げは「譲歩」にみえるため、小さな要求が通ってしまうのです。これは「譲歩的要請法」と呼ばれる手法で、そのとき1回だけでなく、将来的に同じような要求に同意する傾向が強まってしまいます。
では、この返報性の法則を悪用して私たちの心理を操ろうとする人から、どうやって自己防衛したらいいのでしょうか。
それは、最初の申し出を拒否するというものではありません。むしろ、最初の親切や譲歩は誠意をもって受け入れる。ただし、それが計略だとわかった時点で、最初に親切だと思えたことは親切などではなく、計略だったのだと再定義する。
そうすれば、それにお返しする必要はないのだということになります。厚意は厚意に対して返すべきものだからです。相手が親切にみせかけて計略をしかけてきたのだとしたら、相手の要求を受け入れなくても、「返報性の法則」に抵触することはありません。
そうやって「もらいっぱなしだ」という心の負担から解放されつつ、相手の要求をきっぱり拒絶するのです。
これは「自分の言葉、信念、考え方、行為を一貫したものにしたい、あるいは他者からそう見られたいという欲求」です。*4:pp.181-182, pp.177-179
私たちは、一貫した行動をとることによって社会から高評価を受けます。また、そうやって自分の決断の正しさを示すための理由をみつけ、自分を正当化します。
詐欺師にとっては、この法則は非常に都合のいいものです。最初のコミットメント(言質)を確保すれば、相手は自分でそのコミットメントを貫こうとするのですから。
コミットメントと一貫性の法則を利用した戦術が効果を発揮しやすいのは個人主義的な社会であり、なかでも50歳以上の人々が特につけこまれやすいことが研究によってわかっています。
以下は高齢者を狙う電話詐欺師たちに関するアメリカの調査で、実際に収集された例です。
「ええと、先月署名をいただいてますね。お忘れですか?」
「はっきりそうおっしゃっていましたよ。3週間くらい前です」
「先週、お約束いただきましたし、はっきりそう伺いました」
こうした手口に抵抗するためには、身体反応も含め違和感を覚えたときに、「時間を遡ることができたら、同じコミットメントをするだろうか」という質問を自分自身に投げかけ、最初に湧きあがってきた感情を大切にすることです。
これは「人は他の人たちが何を正しいと考えているかを基準にして物事を判断する」という法則です。*4:p.189, p.191
みんながやっているのならその行為は正しいと仮定するこの傾向はさまざまな場面で悪用されています。
たとえば冒頭でみた標的型攻撃メールの実験では、以下のような文言が用いられています。*3:p.597
参照)西川弘毅・上原航汰・山本匠・河内清人・西垣正勝「標的型メールにおける心理操作テクニックと性格特性および行動特性との関係性分析」p.597より抜粋
誤った社会的証明に影響されないためには、以下の2点を肝に銘じる必要があります。
これは「自分が好意を感じている知人に対してイエスと言う傾向がある」というルールです。*4:pp.324-325
好意には以下のようなことが影響します。
こうした好意の法則が及ぼす悪影響から逃れるためには、承諾を引き出そうとしてくる相手に対して過度の好意をもっていないかに特に敏感になることが有益です。
そして、もし過剰に好意を抱いていることがわかったら、そのやりとりから距離をとり、その相手と相手の申し出を心の中で切り離し、自分にとってのメリットだけを考えて承諾するかどうか決めることが必要です。
これは「人は権威をもつ人の要求に服従してしまう」という法則です。*4:pp.371-372, pp.334-335, p.343
人は権威に弱いことを示す有名な実験があります。その実験では、権威者からの命令に対して、正常で心理的に健康な人の多くが、自分の意に反することにも逆らわず、極度に危険なレベルの痛みを他者に与えました。
権威者の命令に従うことは私たちに利益をもたらします。子どもの頃から、親や教師の忠告に従うことが自分のためになると私たちは学びます。
親や教師の方が自分より多くの知識をもち、自分に対する賞罰を決められるからです。
こうした経験の蓄積から、権利者に対する服従は、思考が伴わない形で生じてしまいます。
そして私たちには、その実体にではなく、肩書き、服装、自動車という、単なる権威のシンボルに反応してしまう傾向があります。
冒頭でみた標的型攻撃メールの実験では、以下のような文言が用いられています。*3:p.5
参照)西川弘毅・上原航汰・山本匠・河内清人・西垣正勝「標的型メールにおける心理操作テクニックと性格特性および行動特性との関係性分析」p.597より抜粋
権威の法則の悪影響から自分自身を守るためには、以下の2つの質問が有益です。
ただし、詐欺師の中には、相手の信頼を増すために、自分自身にとって少し不利な情報をあえて提供し、誠実そうに見せかける策略をとる人がいるので、注意が必要です。
これは「手に入りにくくなると、その機会がより貴重なものに見えてくる」というものです。*4:p.379, pp.425-426
この原理を利益のために利用する技術に、「数量限定」「最終期限」といった戦略があります。
この原理は、商品の価値だけでなく、情報の評価にも作用します。情報へのアクセスが制限されると、人はそれを手に入れたくなり、それに賛同します。他では手に入らないとみなすと、その情報は説得力を増すのです。
この傾向は、新たに希少となったときや他者と競い合っているときに一層、強まります。
冒頭でみた標的型攻撃メールの実験では、以下のような文言が用いられています。*3:p.597
こうした希少性の圧力は、思考を困難にする情動を引き起こす性質を内包しているため、それに理性で対抗するのは難しいと考えられています。
有益なのは、まず興奮を鎮め、次になぜそれが欲しいのかという観点からその機会のメリットを評価するというステップをふむことです。
「チャルディーニ」の法則はどれも、言われてみれば思い当たるフシがある、だれでも当たり前にもっている傾向ではないでしょうか。それだけにそれらを悪用して利益を得ようとする人たちがいるのです。
悪意ある人に思うがままに操られないようにするためには、この法則を認識し、心理操作の手法やその回避方法を知ることが有益です。