ノーベル賞受賞者が指南! 組織の意思決定をゆがめるバイアスはこうして排除しよう
心理学では、思考モードには2種類あると考えられています。直感的で自動的な思考「システム1」と熟慮的で合理的な思考「システム2」です。
認知バイアスは「システム1」に関わっているため、誰でも自分では気づくことが難しく、自分のバイアスを取り除くことはできないといわれています。
ただし、組織レベルのバイアスなら根絶することは可能です。
組織の意思決定からバイアスを排除する、興味深い方法をご紹介します。
思考には2つのシステムがある
上述のように、人間の思考モードには2つのシステムがあると言われています。
それらはどのようなものでしょうか。
以下は2002年にノーベル経済学賞を受賞した心理学者、行動経済学者であるダニエル・カーネマン氏の有名な著作『ファスト&スロー(上)』と、カーネマン氏・他の『意思決定の行動経済学』によります。
「システム1」と「システム2」
2つの思考システムとは次のようなものです。*1:p.41
<システム1>
自動的に高速で働き、努力はまったく不要か、必要であってもわずか。自分でコントロールしている感覚は一切ない。
<システム2>
複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動に関わる。
直感的で自動的な思考である「システム1」では、印象、連想、感情、意図、行動の準備という流れが淀みなくもたらされます。*2:pp.9-10
歯をみがいたり、友だちと冗談を言い合ったりするのは、ふつうこのモードです。
一方、熟慮的で合理的な思考である「システム2」はスピードが遅く、努力が必要で、意図的です。
たとえば、納税申告書に記入したり、自動車の運転を習ったりするときにはこちらの思考モードです。
思考を決定づけるのはどちら?
ここで、「システム1」と「システム2」の違いについてわかりやすい例を挙げましょう(図1)。*1:pp.53-54
出所)ダニエル・カーネマン著・村井章子訳(2012)『ファスト&スロー(上)』早川書房(電子書籍版)p.53
これは有名なミュラー・リヤー錯視と呼ばれるものです。
一見して、下の線の方が明らかに長く見えますが、実は2本の線の長さはどちらも同じで、定規で測ってみれば、そのことがわかります。
それでも、下の方が長く見えることは変わりません。同じ長さだとわかっていても(「システム2」)、「そのように見る」こと(「システム1」)を自分で決めることはできません。
ほとんどの場合、私たちの思考を決定づけるのは「システム1」の方なのです。*2:p.10
認知バイアスは排除できないのか
次に、「システム1」とバイアスについてみていきます。
バイアスの排除は難しい
「システム1」の重要な側面である視覚系と連想記憶は、身の回りに起こっていることに、筋の通った解釈を与えます。*2:pp.10-11
文脈に応じて「システム1」が紡ぎ出すストーリーは概して正しいのですが、例外もあり、認知バイアスもその1つです。
認知バイアスが生じ、実際に認知不全に陥っていても、私たちはそのことにほとんど気づくことができません。直感的で無意識に処理された「システム1」の思考をそのまま受け入れてしまうのです。
したがって、認知バイアスを正すのは難しく、バイアスがあるということを知るだけでは自分のバイアスを排除することはできません。
では、認知バイアスは絶対に排除できないのでしょうか。
組織レベルのバイアスなら排除できる
個人的には排除することが難しい認知バイアスですが、集団、組織となると話は別です。*2:p.11
なぜなら、意思決定者は自分自身の直感をコントロールすることはできなくても、合理的な
思考によって、つまり「システム2」を使って他者の直感の欠陥を指摘し、その判断を改め
ることができるからです。
そして、これこそ最終判断する際に、必ず実行すべきことなのです。
組織のバイアスはこう排除する
そこで、ダニエル・カーネマン氏らは、ビジネス・リーダーが意思決定をする際に、提案者のバイアスを特定し、提案プロセスを検討するためのツールを開発しました。*2:p.15
そのツールは3つのカテゴリーに分類された、12の質問からなるチェックリストです。
具体的にみていきましょう。
意思決定者が自問すべき質問
1つ目のカテゴリーには以下の3つの質問があります。*2:pp.17-20
提案者の私利私欲を疑う
ひとつめの質問は、提案者が私利私欲にかられて誤りを犯したのではないか確認するというものです。
もちろん、この質問を提案者に直接、問いかけてはいけません。そんなことをすれば、提案者の努力やモラルを疑っていると受け止められてしまい、よい結果を招かないでしょう。
ここでの問題は、わざと嘘をつくことより、無意識の自己欺瞞や自己正当化の方がもっと生じやすいということです。
その提案から通常以上のものを得る立場の人たちの提案については、特に注意を払う必要があります。
「感情ヒューリスティック」の影響を受けていないか
次の質問は「提案者たち自身が、その提案にほれ込んでいるか」というものです。
「感情ヒューリスティック」とは、好きなものを評価するときはそのリスクやコストを最小
化しメリットを誇張する一方で、嫌いなものを評価するときにはその逆になるということです。
この現象は、感情的な要素が入り込みやすい意思決定でよくみられます。
提案チームのなかに反対意見があったか
多くの企業文化では、上位者に対する忖度があります。
また、皆から支持されているように思われる決定に寄与することで、争いを最小限に抑えようとする傾向もあります。
明らかに反対意見が抑え込まれたと思われる場合には、意思決定者は私的な会合などを通じ
て提案チームのメンバーから反対意見を慎重に集めるのがいいでしょう。その際、意思決定プロセスで、同調圧力に果敢に立ち向かった人の意見には特に注目すべきです。
提案者に問うべき質問
2つ目のカテゴリーには6つの質問が設定されています。*2:pp.21-23, p.26, pp.29-31, p.34
類似例に影響されていないか
多くの提案は過去の成功の影響を受けます。類似した提案によってその成功を繰り返そうとするのです。
特別に印象深い出来事や類似例がチームの判断に過大な影響を与えたのではないかという疑いがある場合には、提案チームに類似例を比較検討させます。
信頼できる代替案が検討されたか
優れた意思決定プロセスでは、考えられるすべての代替案が事実に基づいて客観的に評価されます。しかし、個人であれ集団であれ、1つのもっともらしい仮説を立て、それを裏づける証拠だけを探そうとする傾向があります。
意思決定者は提案者に、どのような代替案を検討したのか、どの段階でその案を捨てたのか、提案の反証となるような情報を積極的に探したのかを問います。
1年後に同じ意思決定をする場合どのような情報が必要か、それは入手できるか
私たちは直感によって、手元にある証拠に基づいて理路整然としたストーリーを組み立て、どこかに穴があれば埋めようとします。
それで、実はそこに欠けているものがあっても、それを見過ごしてしまう傾向があります。
この質問は提案に関する妥当性を確認するために有益です。データは手に入らない場合が多いのですが、重要な情報が入手できるかもしれません。
数字の出所を承知しているか
この計画のうち、どの数字が事実で、どの数字が推定値か。それらの推定値は別の数字を整理して求めたものか、表に最初の数字を入力したのは誰か。
このように、提案の基礎になっている主な数字に集中してチェックすると、バイアスを見抜くのに役立ちます。
意思決定では、推定に基づいた数値予測がよくみられますが、それが正しいとは限りません。
提案が最初の推定値に引きずられていると考えられる場合、意思決定者は提案者に、最初の数値を振り出しにもどして、推定値を調整することを要求しなければなりません。
「ハロー効果」がみられないか
私たちには、ある分野で成功した人や組織、手法が、他の分野でもうまくいくと考える傾向があります。
優良企業はすべての面でお手本のように思えてしまい、その企業が手がけたのと同様のプロジェクトを企画することがあるかもしれません。
そのような場合、「このケースのどこが私たちと似ているか」という比較をし、妥当性を評価したうえで、あまり成功していない企業の事例を探させることも有益な方法です。
過去の意思決定にこだわりすぎていないか
未来ではなく、過去のある時点から選択肢を評価すると、判断を誤ってしまうおそれがあります。
「埋没費用の錯誤」といわれるバイアスが代表的なものです。新しい投資について考えるとき、将来のコストや売り上げに影響しない過去の支出は無視しなければならないのに、そうせず、過去に費やしたコストを惜しむばかりに、意思決定に影響が及ぶことです。
意思決定者は、提案者に対して、過去ではなく次のCEOの視点で判断するように指示しなければなりません。
提案を評価するための質問
3つ目のカテゴリーには3つの質問があります。 pp.36-39
予測は楽観的すぎないか
提案にはほとんどの場合、予測が含まれていますが、それらの予測は過度な楽観主義に陥りやすいという傾向があります。
その要因には、過信、目の前のケースだけに注目し過去の同じようなプロジェクトを顧みないこと、ライバルがどのように反応してくるかを予想しないことなどが挙げられます。
予測は正確でなければなりませんが、目標は高く掲げなければならず、リーダーはこれらを混同しがちです。
楽観的なバイアスを修正するのは難しいのですが、意思決定者は、さまざまな問題に目を向けて一般化できる側面を見出し、それを中心にした予測をすべきです。
最悪のケースは本当に最悪か
重要な意思決定を下す際、企業の多くは戦略チームにさまざまなシナリオを用意させますが、その中の最悪のケースが本当に最悪であることはめったにありません。
そこで、意思決定者は、最悪のケースの出所はどこか、それは競争相手の反応にどれくらい影響を受けるのか、どのような想定外のことが起こり得るかを問い、そのリスクを減らすべきか、それとも提案を再評価すべきか検討しやすくする必要があります。
提案チームは慎重すぎないか
提案者たちはリスクを伴う意思決定を行う場合、損失を回避したいという気持ちの方が、利益を得たいという気持ちを上回ります。個人であれチームであれ、失敗したプロジェクトの責任を負いたいとは思わないからです。
こうした状況を改善するためには、リスクの責任をシェアしたり、リスクを取り除くためのインセンティブを調整すべきです。
ビジネス・リーダーの真の課題とは
このチェックリストを使用するにあたって、留意しなければならないことがいくつかあります。*2:pp.42-45
まず、日常的な決定事項に使うのではなく、重要な案件の意思決定に使うこと。
また、意思決定者は提案者と一線を画す必要があること。
さらに、チェックリストの任意の項目だけ使うのではなく、全体を使うこと。
その上で、カーネマン氏は最後にこう説いています。
適切な意思決定をしようとするビジネス・リーダーにとって、本当の課題とは時間でもコストでもなく、経験豊富な優れた経営者でも間違いを犯すことを認識できるかどうかだ。
組織は適切な意思決定プロセスが健全な戦略のカギであることを自覚し、そうしたプロセスが広がるような開かれた文化を築くべきだ、と。
博士(文学)。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。専門は日本語学、日本語教育。
高等教育の他、文部科学省、外務省、厚生労働省などのプログラムに関わり、日本語教師育成、教材開発、リカレント教育、外国人就労支援、ボランティアのサポートなどに携わる。
パラレルワーカーとして、ウェブライター、編集者、ディレクターとしても働いている。
*1
ダニエル・カーネマン著・村井章子訳『ファスト&スロー(上)』早川書房(電子書籍版)p.41, pp.53-54
*2
ダニエル・カーネマン/ダン・ロバロ/オリバー・史ボニー著・DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部訳(2016)『意思決定の行動経済学』ダイヤモンド社 pp.9-11, p.15, pp.17-20, pp.21-23, p.26, pp.29-31, p.34, pp.36-39, pp.42-45