環境と生き物の関係性についてアメリカ人の心理学者が提唱した概念に「アフォーダンス」というものがあります。
わたしたちがモノを認識し行動する時には、「それが自分に何をアフォード(afford、提供する、与える)するか」という視線が働いているという理論です。
ここでいう「アフォードする」というのは、良いものだけではなく、悪いものを与えるという意味合いでも使われます。
この「アフォーダンス」の世界から組織を眺めてみると、また違う世界が見えてくることでしょう。
「アフォーダンス」はアメリカのジェームス・ギブソンという心理学者が1960年代に提唱した概念です。
例えば「水」とわたしたちの関係はこのようなものです。
水は、僕らに対して呼吸作用をアフォードすることはない。水は飲むことをアフォードする。水には流動性があるので、容器に注ぎ入れることをアフォードし、溶解力があるので洗濯や入浴をアフォードする。水の表面は密度の高い大きな動物に対する支えをアフォードすることはない。水は、ぼくらにとっては「喉の渇きをいやす」、「容れ物で運搬する」、「汚れを落とす」、道具なしにはその上を「移動しない」、あるいは道具を利用してその上を「移動する」などのアフォーダンスの集合である。
<引用:佐々木正人「アフォーダンス入門」講談社学術文庫 p73>
少し難しい言い回しではありますが、つまり「わたしたち」を主語にとった場合、水は「喉の渇きを癒す」ことを与えてくれる、可能にしてくれる存在です。しかしわたしたちにとって水は「その中で呼吸する」存在ではありません。
逆に言えば、空気はわたしたちに呼吸を提供しますが、喉の渇きを癒すことを与えてくれるものではありません。
その存在がわたしたち=自分に何を提供する存在であるか。
わたしたちはモノを常にそのように捉えることで、環境を認識しているという概念です。
また、同じ「モノ」であっても、立場が変われば関係性は変化します。
水は、魚にとっては呼吸をアフォードします。植物や昆虫が命の危機を感じた時に毒物を放出することがありますが、これは植物や昆虫には危機の除去をアフォードする一方で、わたしたちには害をアフォードします。
これは何も「人とモノ」に限らず、「人と人」の関係にも当てはめることができるのではないかと筆者は考えています。
たとえば、えこひいきをする上司がいたとします。
贔屓されている部下にとっては、その上司は頼み事を優先的に叶えることをアフォードします。しかし、そうでない部下にとっては、頼み事を優先的に叶えることをアフォードしませんし、むしろその態度から不快感をアフォードする、という具合に考えることができます。
筆者には、事件記者時代、ある苦い思い出があります。
ある時、ちょっとした小ネタが耳に入りました。
しかし、詳細までは把握しきれていないため、情報は他の人から聞いて補わなければなりません。
そこで、立ち回りが不慣れだった筆者は、「聞いてはいけない人」に話を聞きに行ってしまったのです。
彼は「うーん、僕のところではわからないなあ」と筆者を門前払いしましたが、次の瞬間。
裏で彼が贔屓にしている他社の記者に全容を吹き込み、結局その話は話を吹き込まれた記者のスクープに終わってしまいました。
情報を先に手に入れたのは筆者のほうで、彼は筆者にとって詳細を確認することをアフォードしませんでしたが、他の記者には詳細情報を知ることをアフォードする存在だった、ということです。
むしろ筆者には、「負け」をアフォードしました。
それ以降、彼に接するスタンスを変えたのは当然のことです。
さて、やや観念的な話になってしまいましたが、この視点から「組織と人」の関係について考えてみましょう。
アフォーダンスの視点からすれば、「働く理由、目的」というのは、つまり「会社が自分に何をアフォードする存在か」と言い換えることができます。
そして、内閣府の世論調査によれば、「働く目的」は下のようになっています。
(出所:「国民生活に関する世論調査(令和4年10月調査)内閣府)
https://survey.gov-online.go.jp/r04/r04-life/2.html
「お金を得るために働く」という人が全世代的に最も多くなっています。
つまり、多くの人は労働を「お金をアフォードするもの」というふうに捉えているわけです。
労働は「才能や能力を発揮する」「生きがいを得る」ことをアフォードする、という捉え方は少数であるとも言えます。
また、「充実感を感じる時」については、下のような結果が出ています。
(出所:「国民生活に関する世論調査(令和4年10月調査)内閣府)
https://survey.gov-online.go.jp/r04/r04-life/2.html
アフォーダンスの立場から上のグラフを見ると、仕事が自分に充実感をアフォードしていると感じている人は27.6%、3割弱しかいない、と取ることができます。
よって、労働が「収入と充実感の両方」をアフォードしてくれるものであれば、仕事に熱心になることができます。
こう考えると、労働を「金銭を得るためだけのもの」と考えている人に、どれだけ「情熱を持て」と言ったところで、大きな効果があるかどうかは疑問が残るところです。
さて、離職防止のために職場アンケートを実施する企業は多いことと思います。
今の仕事はやりがいがあるか?成長を感じているか?
そんなことを質問するかと思います。
しかしアフォーダンスの立場から見れば、基本は「収入をアフォードしてくれるから」職場にいる、という人が多数なわけで、そこに触れずに「何を得ているか」を聞いてもそれは表層的なものでしかないということになります。
「今の収入に満足しているか?」という根本、あるいは先にご紹介した「充実感」を感じる時間を得られているか?得られていないならそれはなぜか?という真相に迫る必要があるのです。
企業をやめ、転職する人にはひとつの傾向があります。
転職者の4割は、転職の「本当の理由」を言わないというものです*1。
「円満退社したかった」「話しても理解してもらえないと思った」というのが主な理由です。
そして、本音はこのようなものです。
(出所:「『エン転職』1万人アンケート(2022年10月)「本当の退職理由」実態調査」エン・ジャパン)
https://corp.en-japan.com/newsrelease/2022/31043.html
給与が低いことを退職の理由にする人の割合が高くなっています。
「結局はカネか」。
経営サイドとしてはそう肩を落としてしまうかもしれませんが、厳然たる事実としてそこにある以上、目を逸らすわけにはいきません。
もちろん、給料を無限に積むわけにはいきませんが、日頃の意識調査として「収入に満足しているか」という質問から逃げてはいけないのです。
満足していない場合、それはなぜか?
そうした問いを経てはじめて、社員は会社に何をアフォードして欲しいのかを知ることができます。
「働く」ことに充足感を得られるかどうか、社員が欲しいものをアフォードできているか。できていないとしたら、どうすれば良いのか。
そのような視線も、時には必要なのです。