戸籍上は男性であるものの女性として勤務している経済産業省のトランスジェンダー職員が、職場での女性トイレの使用を不当に制限されたのは違法だと国を訴えた事案について7月11日、最高裁の判決が下りました。
判決内容は職員の訴えを認め、経産省が設けたトイレ利用の制限を違法とするものでした。
この判決についてはさまざまな意見があることでしょう。
しかし最高裁がなぜこの判断をしたのか、判決文を読むと明らかになってきます。
この裁判は、長きにわたって続いていました。
原告のトランスジェンダー職員は入省後に性同一性障害の診断を受けてホルモン治療を続け、上司に相談の上、2010年からは女性の服装で働いています。
しかし戸籍上の性別を変更するためには性別適合手術が必要ですが、職員は健康上の理由で手術を受けられずにいました。
職員は女性トイレの使用も望み、同僚の女性職員らへの説明会を開くなどしていましたが、経産省は「他の女性職員への配慮」などを理由に、勤務しているフロアから2階以上離れた女性トイレを使用するよう求めていました。そこで職員は、このような制限を撤廃するよう人事院に行政措置を求めましたが、2015年に退けられました*1。
そして職員が、人事院の判定の取り消しと国・経産省に国家賠償法に基づく賠償を求めて訴えを起こしたのです。
一審の東京地裁が判決を言い渡したのが2019(令和元)年です。
東京地裁は、自らの性自認に基づいた性別で社会生活を送ることは法律上保護された利益であるとして職員の訴えを支持しました。当局にトイレ利用に関する条件を取り消すよう命じると共に、経産省に対し、職員に慰謝料132万円を支払うことなどを命じています*2。
しかし、二審の東京高裁は、自らの性自認に基づいた性別で社会生活を送ることは法律上保護された利益であるという部分は認めつつも、経産省のトイレ使用に関する処遇には違法性はないとの判断を示しました*3。
そして、争いは最高裁に持ち込まれました。
さて今回、最高裁は、二審の東京高裁の判決を破棄し、トイレの使用に問題はないとした人事院の判定について、妥当性を欠くとする判決を言い渡しています。裁判官5人全員一致の結論で、職員の逆転勝訴が確定しました*4。
この判決については、ネット上でも反対の声が上がっています。
散見されるのは、「この判断がまかり通ると、女性を装った男が女子トイレに入り込み、性犯罪を起こしかねない」「男性と同じトイレを使いたくないという女性の意見はどうするのだ」というものです。
確かにその通りです。しかし今回、最高裁は「トイレを含め、不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方について触れるものではない」としています*5。あくまで、この個別の事案についての判決だというわけです。
いったい、どういうことでしょうか。
まず判決文ではこの事案について、原審で確定した事実関係をいくつか挙げています。その中で注目したいのは下の項目です*6。
- 職員は、平成22年3月頃までには、血液中における男性ホルモンの量が同年代の男性の基準値の下限を大きく下回っており、性衝動に基づく性暴力の可能性が低いと判断される旨の医師の診断を受けていた。
- 職員のトイレ使用の要望を受け、経産省では、職員が執務する部署の職員に対し、職員の性同一性障害についての説明会が開かれた。職員が退席後、担当職員が職員の執務室の1つ上の階の女性トイレを使うことについて意見を求めたところ、数人の女性職員が違和感を抱いているように見えた。
- 職員は説明会の翌週から女性の服装で勤務し、執務室から2階離れた女性トイレを使用するようになったが、それにより他の職員との間でトラブルが生じたことはない。
そして最高裁が重視したのは、上記のように「性衝動に基づく性暴力の可能性が低いと診断されていた」「トラブルが生じたことはない」ことに加え、
本件説明会においては、上告人が本件執務階の女性トイレを使用することについて、担当職員から数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない。さらに、本件説明会から本件判定に至るまでの約4年10か月の間に、上告人による本件庁舎内の女性トイレの使用につき、特段の配慮をすべき他の職員が存在するか否かについての調査が改めて行われ、本件処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない。*7
という点です。
当面の措置として職員のトイレ使用を制限するのはやむを得ないものの、職員が女性の服装で勤務するようになってから5年近くが経過しています。その間、トランスジェンダーに対する理解を研修で深めるなどの取り組みをし、制限を見直すことも可能であったはずなのに、それを行わなかったことを問題視しているのです。
また、同じ階で勤務する女性職員が違和感を覚えているように「見えた」という部分についても、それが解消されたかどうかの調査を行うなどの調査ができたはず、また、女性職員らの守られるべき利益が本当に侵害されるのか、侵害されるおそれがあったのかについて「具体的かつ客観的に検討されるべき」としています。
確かにこのケースでは、女性トイレを使用している中でどの人が性同一性障害の職員なのか特定できる状況だったというのは、一般に抱かれるような犯罪の危険性の印象とは異なるものでしょう。不特定多数が出入りする場所とは異なるという前提での判決です。
性的マイノリティの人たちの権利を守りましょうー
社会運動的にそのような声は大きくなっていますし、今回は舞台が経済産業省であることから、政府じたいも掲げる旗と実情が相反しているのではないか、ということになります。
ただ、この判決が教えてくれるのは、いきなり大風呂敷で漠然と「マイノリティの権利」をうたうよりも、まず目の前にいる一人の人物についての対応から考える方が現実的だということです。
ひとくちに「性的マイノリティ」といってもそれぞれに事情は異なります。
ざっくりとした、漠然とした「わかったふり」よりも、まず目の前のひとりへの対応からきちんと精査していくこと。
それができなければ、大風呂敷には何の意味もないということです。