最近、日本の大手企業ではパーパス策定の動きが活発になってきました。
パーパスという概念がまだそれほど注目されていない時期からその重要性を唱えていた経営者がいます。その人―ネスレ日本の元代表取締役社長兼CEOは、「パーパスは企業と従業員が締結する労働契約の原点」だと述べています。
そのため、同社では、採用の際の重要な基準としてパーパスを活用しています。
そもそもパーパスとはどのようなもので、採用において、また採用後も、どのように機能するのでしょうか。
事例を交えてみていきましょう。
まず、パーパスとは何か、そしてパーパスは何をもたらすのかについてみていきます。
パーパスとは、企業やブランドの「存在意義」です。その事業やブランドはなぜ存在しているのか、その答えがパーパスなのです。*1
パーパスは、創業時の思いであり、現在その企業が存在している理由であるとともに、未来に実践するあらゆることの動機ともなります。
国際的に評価されているPRの専門家、本田哲也氏は、パーパスとよく似た「ビジョン」との違いについてこう述べています。
「何を目指すのか」「どうありたいのか」という自問から導き出されるのが「ビジョン」であり、「自分たちって結局何者だっけ」「そもそも何をしたいのだっけ?」という問いの答えとなるものが、パーパスであると。
先駆的な自主経営組織を広く取材し、大きな反響を巻き起こした『ティール組織』を著したフレデリック・ラルー氏は、パーパスについて次のように記しています。*2
従来の組織では、企業があらゆることに優先して果たすべき義務は、利益の最大化だ。
(中略)
本書のために調査した営利組織は、利益についてこれとは異なる見方をしている。利益は必要で、投資家には公正なリターンを得る権利がある。しかし、事業の目標は存在目的を達成することであって、利益ではない。数社の創業者は、「利益は空気みたいなものだ」と同じメタファーを使って説明する。私たちは生きるために空気を必要とするが、呼吸するために生きているわけではないのだ。
そして、企業が自社の存在目的を明確にしていると、外の世界の方から会社のドアをノックしてチャンスを運んでくるというのです。
ここからは日本でいち早くパーパスを掲げ、その実現を目指している企業の事例をみていきます。
ネスレ日本は、創業150周年に当たる2016年にいち早くパーパス(存在意義)を定義しました。同社が何のために存在しているのかを明確化したのです。*3
そのパーパスは、「食の持つ力で、現在そしてこれからの世代のすべての人々の生活の質を高めていきます」というものです。*4
ネスレはそれ以前から経営原則としてCSV(共通価値の創造)を掲げていました。
全てのステークホルダーが、自社や株主だけではなく、社会や地球にとっても有益となるような意思決定を行う。そして、社会全体のために価値を創造する。
その実現が、企業としての長期的な成功にもつながると考えてのことです。*3, *4
CSVを実現するためには、ネスレのすべてのステークホルダーが基本的な価値観を共有する必要があります。*3
パーパス策定前にもビジョンは掲げていましたが、そのビジョンは耳当たりはよくても、きちんと理解できている人は少なかったといいます。
CSVやビジョンを達成するうえで、ネスレの存在意義をまず理解してもらうべきではないか―数年にわたって議論を重ね、こうしてパーパスが策定されました。
主導したのは、当時の代表取締役社長兼CEO、高岡浩三氏です。
では、パーパスを策定したことで、どのような成果があったのでしょうか。
「あらゆる判断基準がより明確になった」と高岡氏は語ります。
それは、社内で有益であるだけでなく、株主や取引先にとってもプラスです。ネスレを評価するとき、ネスレの行動がパーパスに合致しているかどうかが尺度になるからです。
社内での成果としては、パーパスを、採用の際の重要な基準として活用していることが挙げられます。
パーパスは企業と従業員が締結する労働契約の原点であると高岡氏は述べます。企業の存在意義という基本的な価値観を共有できない人に入社してもらっても、活躍は期待できません。それでは、採用する側も働く側も幸せにはなれません。
ネスレのパーパスに賛同できるかどうか、それがカギなのです。
特に、新卒の場合には、採用試験の時点でその能力を正確に測るのには限界があります。大学を卒業したばかりの段階で、その人が長期的に貢献してくれる人かどうか見極めるのは至難の技です。
ただ、仕事に対する基本的な価値観が合致しているかどうかの判別なら可能です。それで、パーパスに賛同できるかどうかを判断するのです。
しかし、採用時だけでなく、彼らが入社後も同じ価値観をもって仕事をしていくためには、
パーパスが社内に浸透し、すべてのステークホルダーがその価値を共有できているかどうかがカギとなります。
では、パーパスを策定している企業では、そのパーパスは社内に浸透しているのでしょうか。また、浸透させるためには、どうしたらいいのでしょうか。
日本経済新聞社と日本最大のブランディング会社、インターブランドジャパンが共同で実施した「NIKKEI-Interbrandパーパス経営調査」の結果をみてみましょう。*5
この調査は、日本の経営層、ビジネスパーソン、投資家、アナリストを対象に、「パーパス経営」に対する意識を調べたものです。
「パーパス経営」に対して、経営者とビジネスパーソン(社員)との認識は果たして一致しているのでしょうか(図1)。
出典:PRTIMES「インターブランドジャパンと日本経済新聞社の共同調査「NIKKEI-Interbrand パーパス経営調査」結果発表」
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000145.000000092.html
図1をみると、経営者の97.1%が、パーパスの哲学を伝えるべき最も重要なステークホルダーとして社員を挙げています。また、88%の経営者は社員にパーパスが伝わっていると認識しています。
一方、社員は、パーパスの哲学を伝えるべき最も重要なステークホルダーは取引先、次いで顧客、投資家であると認識しています。また、パーパスが伝わっているかという質問に対して、社員に伝わっていると答えた割合はわずか65.2%に留まっています。
以上の結果から、経営者と社員のパーパスに関する認識には大きなギャップが存在していることがわかります。
ここで、前述のネスレ日本元代表取締役社長兼CEO、高岡浩三氏の取り組みをみてみましょう。
高岡氏は「CEOランチ」と銘打った昼食会を開き、主に一般社員数人と一緒にランチを取るようにしていました。
そのランチで初めて顔を合わせた人には、ネスレが何をしたいのかを伝え、社員にはネスレを選んだ理由やネスレでやりたいことを尋ねます。
そこで明確な答えが返ってこないこともありますが、それは単に考える機会がなかっただけだという可能性もあると高岡氏はいいます。もしそこで会社のパーパスが共有できれば、社員が自分自身に自らの志を問う契機ともなります。
そして、自分の志がこの会社でかなえられると気づけたとき、それまで活躍できていなかった人が、思わぬ力を発揮する人材へと生まれ変わることがあるのです。
ちなみに、ミレニアル世代のような若い世代ほど、自分の志と会社のパーパスが合致することを大切にしていると高岡氏は感じています。
ただし、高岡氏は、もし会社のパーパスと自分の成し遂げたいことが違う場合には、転職するという選択肢も視野に入れるべきだと考えています。
ミスマッチの状態で働き続けるのは、企業と社員、どちらにとっても不幸だからです。
自分の志と会社のパーパスが合致しているかどうかを見極めるために、会社を舞台として自己実現を図れるかどうか、社員は真摯に自問することが大切だと高岡氏は語ります。*3
高岡氏はネスレという企業を尊敬しているといいます。しかし、だからといって、ネスレに雇ってもらっているという意識ではなく、ここでの仕事に自分の人生を賭けるべきなのかと、ネスレを試す気持ちをずっと持ち続けているというのです。
彼のこうした発想は就職活動の時点からのものです。会社に選んでもらうのではなく、自分の志と合致する会社を選ぶべきだという主張です。
このことを、立場を逆転させて、採用側に立って考えてみましょう。
採用した側は、入社後も採用した人が同じ価値観をもって働けているかを判断し続けることが必要です。
海外では、誰に採用された人材なのかは常について回ります。採用者にとって、自分が採用した人が活躍してくれれば、それは大きな誇りとなるでしょう。
自分が採用した社員がその後もミスマッチなく働き、成果を上げられているかを検証し、それが評価される仕組みが必要ではないかと高岡氏は考えています。偏差値の高い学校から多くの人を採用できたことなど全く評価に値しないというのです。
パーパスは企業にとっての存在意義であり、すべての行動指針となる大切な価値観です。だからこそ、採用に際しても、また採用後の社員に責任をもつためにも、貴重な判断基準となり得ます。
会社が進むべき未来の方向性と、社員が成し遂げたいことが合致しているかどうか―パーパスを拠り所にしてそれを確認することは、企業・社員双方にとって有益な方策ではないでしょうか。