自己肯定感を「そっと」後押し ナッジ理論で部下を育成する方法

    部下に自己肯定感を持たせることは、育成には必要なことです。

    自分の在り方を積極的に評価できる、自らの価値や存在意義を肯定できるといった自己肯定感は、積極的に新しいことにも取り組む意欲につながります。

    一方で自己肯定感が低いと、自分の言動に自信が持てなくなってしまい、ひとつの失敗をきっかけに自己否定したり、意欲を失ったりしてしまいます。

    部下の自己肯定感をどう高められるか。
    ノーベル賞を受賞し話題になった「ナッジ理論」の観点からみてみましょう。

    ナッジ理論とは


    まずはじめに、「ナッジ」についておさらいしてみましょう。「ナッジ」とは行動経済学で用いられる理論です。

    そして「Nudge」=「肘などでそっと突く」という意味合いです。
    2017年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラー教授らは、ナッジをこのように定義しています。

    「選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく、人々の行動を予測可能な形で変える選択アーキテクチャーのあらゆる要素」

    <引用:「ナッジと EBPM~環境省ナッジ事業を題材とした実践から好循環へ~」環境省資料>
    http://www.env.go.jp/earth/ondanka/nudge/EBPM.pdf p1

    ここで重要なのは、「選択を禁じることも、経済的なインセンティブを大きく変えることもなく」という部分です。選択を禁じることも指示することもせずに、対象の行動を良い方向に変えるのです。

    有名な事例として、オランダの空港の男子トイレでの取り組みがよく挙げられます。

    アムステルダムのスキポール空港の男性用トイレでは、便器から外れた小便が床を汚し、清掃のための人件費がかさむ要因になっていました。
    そこで小便器の排水口付近に小さなハエの絵を描いたところ、そのハエを狙って用を足す利用者が増え、「飛び散り」が約80%減少したのです。
    そして清掃費は大幅に減少したというものです*1。

    ここではトイレ利用者に何らかの指示をしているわけではありません。罰金を設けているわけでもありません。
    しかし結果として「良き行動」に利用者を導いたのです。これが「ナッジ」です。

    利用者としても、飛び散ることなく用を足せた、というのは満足のいくことではないでしょうか。自分の足元も汚れずにすみます。

    ナッジと自己肯定感


    さて、厚生労働省は医療費削減のため、積極的ながん健診を促しており、ここにナッジ理論を導入しています。
    例えば福井県高浜町でがん検診セット申込率を上げた手法があります。
    健診セット申込について、受診するかどうかではなく「いつ受けるか」を選択するフォームを開発し利用したところ、検診セットの申込率が17ポイント上昇したというものです*2。

    これらの試みの結果から、厚生労働省はナッジについて、このような結論を見出しています*3。

    1)”選ばなくていい”は、最強の選択肢
    2)簡単にする、簡単にみせる
    3)得る喜びよりも、失う痛み
    4)みんな気になる、みんなの行動
    5)約束は守りたくなるのが、人の性
    6)狙うのは、心の扉がひらく瞬間

    この6項目は、自己肯定感を上げるために注目すべきものです。

    自己肯定感の本質

    なぜなら、自己肯定感は、一部ではこのように分析されるからです(図1)。
    図1 自己肯定感の三つの概念
    (出所:「子供たちの自己肯定感を育む― 教育再生実行会議第十次提言を受けて ― 」参議院文教科学委員会調査室)
    https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2017pdf/20170908065.pdf p67


    自己の何を肯定するのか、という点では「自らの努力や能力、成果」「自分らしさや個性」が挙げられています。
    逆にいえば、自己肯定感の低い人はこれらを感じられていないということでもあります。

    同時に、上記の6項目をみてみましょう。そのうち、

    1)”選ばなくていい”は、最強の選択肢
    3)得る喜びよりも、失う痛み
    4)みんな気になる、みんなの行動

    の3つに関しては、自己肯定感の低い人が陥りがちな状況です。

    自分らしさを肯定できないために”選ばなくていい”という最強の選択肢を取り、失う痛みのほうを大きく考え、みんなの行動を気にするという具合です。
    このような特性を知り、「そっと」克服させることが部下の自己肯定感を高める第一歩といえます。

    そのために、物事を

    2)簡単にする、簡単にみせる

    ことが重要で、その判断や選択の結果を評価することです。自己肯定感の低い人にとって、自分で選択をする、判断をするということはハードルが高いものなのです。
    本人が自分の選択を正しかったという自信を持たせるために、シンプルな選択の場所を与え、その結果をきちんと評価することが重要なのです。

    そして「良いところを探す」という部下の取り組みが必須といえます。成功体験と本人が感じるものを多く経験させなければなりません。

    「そっと」わかりやすい選択肢を与え、そこに「そっと」褒める要素をあらかじめ仕込んでおくという具合です。

    自己肯定感の礎になる「自己有用感」


    なお、国立教育政策研究所は、「自己有用感」の必要性も説いています。

    「自分に自信が持てず、人間関係に不安を感じていたりする状況が見られたりする」* という指摘を受け、その対策として “ 子供の「自尊感情」を高めることが必要 ” と主張される方は少なくありません。
    しかしながら、日本では、児童生徒の「規範意識(きまり等を進んで守ろうとする意識)」の重要性も強調されています。それらを併せて考えるなら、「自尊感情」よりも「自己有用感」の育成を目指す方が適当と言えるでしょう。
    なぜなら、人の役に立った、人から感謝された、人から認められた、という「自己有用感」は、自分と他者(集団や社会)との関係を自他共に肯定的に受け入れられることで生まれる、自己に対する肯定的な評価だからです。

    <引用:「生徒指導リーフ 『自尊感情』?それとも、『自己有用感』?」国立教育政策研究所>
    https://www.nier.go.jp/shido/leaf/leaf18.pdf p2


    「自己有用感」とは、他人の役に立った、他人に喜んでもらえた等、相手の存在なしには生まれてこない点で、「自尊感情」や「自己肯定感」等の語とは異なります。
    「心理的安全性」がバズワードになっているように、「認められる」ことは自己肯定感を育成する第一歩といえるかもしれません。

    そして、それに似た言葉として「自己効力感」があります。

    自分に対する「自尊感情」とは少し違い、特定の目標に対する自信です。自己肯定感の高低に関係なく、「この目標を達成することができる」という、行為に対する自信です。

    自己効力感の研究の第一人者、林伸二氏によれば、自己効力感には大きく4つのポイントがあります。

    ①実際に自分でやって、成功や失敗を直接体験してみること(遂行行動の達成)

    ②他人の成功や失敗の様子を観察することによって、代理性の経験を持つこと(代理経験)

    ③自分にはやればできる能力があるのだ、ということを、他人から言葉で説得されたり、その他いろいろなやり方で社会的な影響を受けること(言語的説得)

    ④自分自身の有能さや長所、欠点などを判断していくためのより所になるような生理的変化の体験(つまり生理的症状)を自覚すること(情動喚起)

    <引用「人と組織を変える自己効力」林伸二、同文舘出版  p24-25>

    特に①は「成功体験」であるとも言えるでしょう。成功体験の積み上げが自己肯定感につながるというのはよくあることです。

    自己肯定感、自己有用感、自己効力感を「そっと」与えること


    「自己有用感」は「自尊感情」の一部です。生まれ育った環境も大きく影響するもので、一朝一夕に出来上がるものではありません。

    しかし、「自己有用感」「自己効力感」を積み上げ、自己肯定感につなげることは可能です。

    「自信」とは何なのか。
    それを因数分解したときに、「そっと」差し伸べる手の在り方が見えてくるのではないでしょうか。

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    著者:清水 沙矢香
    2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。
    取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。

    *1
    「行動経済学の逆襲(下)」リチャード・セイラー、早川書房 p242

    *2、3
    「受診率向上施策ハンドブック 明日から使えるナッジ理論」厚生労働省
    https://www.mhlw.go.jp/content/10901000/000500406.pdf p.5、p1