アップルの伝説的CM「1984」からナラティブの原点を読み解く
アップルの伝説的CM「1984」はナラティブの原点だ―そう語るPRストラテジスト(PR戦略家)がいます。
「1984」は同名のSF小説をベースに、IBMやアップル、PCユーザーを巧みに組み込んだもので、そこからナラティブのコンセプトが読み解けるからです。
また、最近、人気ゲーム「フォートナイト」を擁するエピック社がアップルを提訴しましたが、その直後、エピック社はある動画を公開しました。それは「1984」のパロディで、アップルへの強烈な皮肉が込められています。「1984」を逆手にとった手法ですが、そこからもナラティブのエッセンスが窺えます。
そもそもナラティブとは、そしてナラティブな企業とはどのようなものなのでしょうか。
アップルの「1984」とエピック社の動画を手がかりに、考えていきます。
ナラティブの原点「1984」
アップルのCM「1984」にナラティブの原点を見いだしているのは、日本のPR業界を牽引する本田哲也氏です。*1
それはなぜでしょうか。
「1984」のプロット
広告史に残る「1984」が放送されたのは、まさに1984年。アメリカ最大のスポーツイベント、スーパーボウルのテレビ中継番組で流された60秒のCMです。*1
筆者はYoutubeで観ましたが、冒頭から、不気味な雰囲気にじわじわ浸食されるような、妙な感覚に襲われました。
そのプロットを追ってみましょう。
まず目に飛び込んでくるのは、宙に浮いた半透明の長いトンネル。その中で何かが動いている。よく見ると、一列縦隊の長い行進だ。
それは、灰色の服に身を包んだ大勢の男たち。囚人のように見えるのは、全員丸坊主で生気が感じられないからだろうか。
男たちの無表情な顔、機械的な足取り、軍靴のような足音・・・。
そこに、時折、疾走する若い女性の姿がほんの一瞬、挿入される。白いタンクトップにオレンジ色のトランクス、抱えているのは大振りのハンマーだろうか。
彼女の背後に追手が迫る。
片や、灰色集団はホールのような広い部屋にたどり着き、長椅子に座って、大きなスクリーンを一斉に見つめている。
スクリーンに大写しになっているのは黒眼鏡をかけた男の顔。冒頭からずっと聞こえていた威圧的な声は、彼の演説だったのか・・・。眼鏡男は灰色集団を支配する独裁者らしい。
次第に熱を帯びる眼鏡男の演説。それと対照的に無表情な灰色集団の顔、顔、顔・・・。
そこに、先ほどの若い女性が駆け込んできたかと思ったら、ハンマー投げの選手のようにくるくると回転し、スクリーンめがけてハンマーを投げつける。
次の瞬間、スクリーンは大爆発して砕け散り、眼鏡男もあっけなく消え失せた。
爆風の中、ぽかんと口を開け、呆然とする灰色集団。
それを背景に、次のようなメッセージが流れる。
1月24日、アップルコンピューターは、マッキントッシュを発表します。あなたは、1984年がなぜ『1984』のようにならないのかを知ることになります。(筆者訳)
小説『1984』の文脈から読み解くCM「1984」
CMの「1984」は、ジョージ・オーウェルのSF小説『1984』(邦名は『1984年』)のオマージュです。
描かれているのは、核戦争後のディストピア。*2
市民は「テレスクリーン」と呼ばれる装置によって常に監視され、「ビッグ・ブラザー」が率いる党に支配されています。
CM「1984」を小説『1984』の文脈から読み解くと、どうなるでしょうか。*1
黒眼鏡の男(ビック・ブラザー)は当時コンピューター業界を独占していたIBM社、灰色集団はわかりにくいインターフェース技術に縛られていた当時のPCユーザーたち、そしてディストピアから灰色集団を解放する若い女性はマッキントッシュの象徴です。
このCMは絶賛され、IBMを追う立場だったアップルの快進撃につながりました。
では、「1984」のどこがナラティブなのでしょうか。
ナラティブとストーリーの違い
ナラティブは現在、さまざまな領域で使われ始めていますが、本稿では企業やブランドとの関連でみていきます。
ナラティブは一般に「物語」と訳されますが、同じように「物語」と訳されるストーリーとの違いを押さえることによって、その特徴が浮かび上がってきます。
本田氏は、その違いを「演者」「時間]」「舞台」の3つの要素に集約して説明しています。*1
まず、「演者」についてみていきましょう。
ここでの「演者」とは、物語の主人公のことです。
ストーリーの演者が企業やブランドなのに対して、ナラティブの演者は企業やブランドだけでなく、消費者や顧客をも含みます。
「1984」では、灰色集団が当時のPCユーザーを象徴していたことが、これに相当します。
また、アップルを象徴するのが若い女性だったことも、偶然ではないでしょう。ビッグ・ブラザー(IBM)が古い価値観で人々を支配する独裁者であるのに対して、そこから人々を解放する役割を担うのは、新たな価値観を備えた存在だからです。
次に、「時間」も大切な要素です。
ストーリーには始まりと終わりが存在し、自己完結的です。一方、ナラティブは常に現在進行形で、オープンエンド。つまり終わりがなく、「未来」や「これから起こること」をも含みます。
これに関しては、後ほど、「1984」がその後どのような展開につながったのかをみて、確認したいと思います。
3つ目は「舞台」の違いです。
ストーリーの舞台はその企業が属する業界や、競合環境です。一方、ナラティブの舞台は社会全体であり、社会で共有される物語です。
上述のとおり、CM「1984」は小説『1984』のオマージュであり、「独裁者(国家)からの解放」という社会的な問題が、IBMの独占的な状況を表すメタファーとして用いられています。
本田氏は以上のようなナラティブとストーリーの違いを以下のようにまとめています。
出典:本田哲也(2021)「ナラティブカンパニー―企業を変革する「物語」の力」東洋経済新報社(電子版)p.31
このように、「1984」は今から40年近く前のCMでありながら、ナラティブそのものなのです。
35年後、「1984」はパロディになった
上述のように、ナラティブは常に現在進行形で、「これから起こること」をも含んでいます。そのことを「1984」のその後の展開をみて、確認してみましょう。
エピック社に提訴されたアップル
2020年8月13日、人気ゲーム・フォートナイトを提供するエピックゲームズ社(以降、「エピック社」)は、アップルを独占禁止法違反で提訴しました。*3, *4, *1
フォートナイトは3億5,000万人以上の登録ユーザーを抱える、大人気ゲームです。ゲーム界大手のエピック社と、巨大IT企業のアップルが真っ向から対立する大型訴訟が勃発したのです。
問題はゲームに対する課金。
エピック社側は「アップルは『アップストア』やアプリ内課金を独占している」と主張し、アップルに、アップストアを通さずに課金できるようにしてほしいと訴えましたが、アップルは即座に拒否しました。
そこで、エピック社はアップル批判を始め、フォートナイトユーザーへの直接課金を強行します。
これに激怒したアップルは「利用ガイドライン違反」を理由に、「アップストア」からフォートナイトを削除しました。グーグルもこれに続いて「グーグルプレイ」から同ゲームを削除し、フォートナイトは新規ダウンロードが一切できなくなるという窮地に陥ります。
エピック社がアップルを提訴したのは、以上のような経緯によるものです。
パロディになった「1984」
アップルを提訴した翌日の2020年8月14日、エピック社はフォートナイトの公式ツイッターに動画を公開しました。
「1984」のパロディです。
「1984」が実写だったのに対して、エピック社の動画はCGですが、プロットはほぼ同じ。
ただし、ビッグ・ブラザーは、なんと齧りかけのリンゴです(図1)。
出典:エピック社 フォートナイト公式ツイッター
https://twitter.com/FortniteJP/status/1294039700856901632?
そして、最後の場面でアップルの独占状況を訴えますが、その終わりの文は、以下のようなものでした。
2020年を「1984」にしないための闘いに参加してください。
「ビッグ・ジョンになってしまったアップル」というナラティブ
かつて後進の立場だったアップルはIBMを独裁者と位置づけ、PCユーザーをIBMの呪縛から解き放つと宣言しました。
それと全く同じ構図で、今度は後進のエピック社がアップルの独占を不当だと訴え、フォートナイトのユーザーに協力を求めたのです。
この動画は、企業間の争いを、より多くの人々が関心をもち、関与する構造に変えました。*1
1984年の物語はまだ続いている。かつて革命者だったアップルは、今やビッグ・ブラザーになり果ててしまった。フォートナイトこそが現在の革命者である―エピック社はナラティブによって、そうした認識を社会と共有することに成功したのです。
こうして「1984」のナラティブは引き継がれ、新たな展開を見せています。
もしかしたら、今後もさらなる展開があるかもしれません。
ナラティブがオープンエンドで未来を含むというのは、こういうことを指しています。
ナラティブな企業とは
現在、「ナラティブ」はバズワードとなり、世界的なビジネスシーンでも急速に注目されるようになってきました。
デロイト系列の研究所で共同会長を務めた、戦略的経営の専門家、ジョン・ヘーゲル3世は、「企業が描くナラティブは、企業ではなく、顧客中心の文脈でなければならない」と述べています。*6
そして、有益なナラティブを構築するためには、まず顧客を深く理解する必要があると主張します。
CM「1984」とそのパロディ動画からもわかるように、ナラティブは、人々の心に訴えかけ、話題をつくり、企業価値を高めます。
ナラティブな企業とは、ナラティブのもつ強い力を理解した上で、多くの人々が共感し、広く社会で共有され得る物語を紡ぐことができる企業なのです。
博士(文学)。総合政策学部などで准教授、教授を歴任。専門は日本語学、日本語教育。
高等教育の他、文部科学省、外務省、厚生労働省などのプログラムに関わり、日本語教師育成、教材開発、リカレント教育、外国人就労支援、ボランティアのサポートなどに携わる。
パラレルワーカーとして、ウェブライター、編集者、ディレクターとしても働いている。
*1
本田哲也(2021)「ナラティブカンパニー―企業を変革する「物語」の力」東洋経済新報社(電子版)pp.16-21, pp.28-31
*2
ジョージ・オーウェル著 高橋和久訳(2012)『[新訳版] 一九八四年』(ハヤカワEPI文庫) pp.6-7
*3
epicgames “ Free Fortnite. Why We Fight”
https://www.epicgames.com/site/en-US/free-fortnite-faq
*4
朝日新聞デジタル「ゲームで多額利益のアップルには厳しい判決 フォートナイト巡る訴訟」(2021年9月11日 21時34分)
https://www.asahi.com/articles/ASP9C6R1RP9CUHBI01X.html
*5
エピックゲームズ フォートナイト公式ツイッター
https://twitter.com/FortniteJP/status/1294039700856901632?
*6
ダイヤモンド Harbard Business Review ジョン・ヘーゲル3世「企業は「ナラティブ」を紡ぐ必要がある 顧客を深く理解することから始めよう」(2021.07.14)
https://dhbr.diamond.jp/articles/-/7810