厚生労働省の調査によると、現在の仕事や職業生活に関することで強い不安やストレスを感じている労働者の割合は、半数を上回っています。
テレワーカーはテレワークに伴うストレスを感じているという調査結果もあります。
また、精神障害による労災補償状況をみると、請求件数、認定件数とも増加傾向にあります。
このような状況にあって、社員のメンタルヘルスケアはどうしたらいいのでしょうか。
示唆的な取り組み事例をご紹介し、職場でのメンタルヘルスの現状と対策を解説します。
考えたくないことですが、同じ職場の社員の中に自殺者が出たとしたら、どうでしょうか。
その原因がたとえ仕事や職場に関係ないものだったとしても、多くの時間を一緒に過ごしていた職場の誰かが、なぜそのシグナルに気づくことができなかったのか、と悔やまれるのではないでしょうか。
「社員は家族同然」という社風の某社で、ある日、そうした事態が発生しました。*1
自殺の原因は不明でしたが、問題を抱えて悩んでいる社員に気づくことができなければ、原因がなんであれ、また同じようなことが起きる可能性があるのではないか―そうした考えから、会社全体として自殺予防対策を行うことになりました。
同社は本社には100人以上の社員がいますが、日本全国に営業所をもち、各所は数名程度の社員配置でした。
まったく経験のなかった衛生管理担当者は悩み、まず本社の産業医に相談しました。
すると、その産業医は、「自殺予防対策の多くは、企業のメンタルヘルス対策活動そのものだ」と言い、自殺も含めたメンタルヘルスの知識を、社員、特に管理職が持つことの重要性を指摘しました。
そこで初年度は、産業医にメンタルヘルスの管理職教育を依頼しました。産業医は毎回1時間程度の講義とその後のディスカッションを企画しました。
すると、同社の管理職は、衛生管理担当者や人事労務担当者の予想をはるかに超える、多くの問題を抱えていることが分かりました。
例えば、自律神経失調症という診断書をもって欠勤を繰り返している社員や、アルコール依存症が疑われるけれど治療を受けようとしないで酒臭いまま出社したり遅刻を繰り返したりする社員、さらには職場に盗聴器が仕掛けられているなどと主張する社員もいました。
管理職は、どのケースに関しても、どこに相談を持ちかけて良いかわからずに、1人で抱え込んでいたのです。小さな営業所ではそうした状態の人が1人でもいると、周囲にも負担がかかり、業務成績にも影響が及ぶおそれがあります。
そこで衛生管理担当者は、産業医と相談して、まずは社内体制の整備から取り組むことにしました。
本社は産業医に相談することができますが、営業所ではそのようなチャンネルがないので、地域産業保健センターや精神保健福祉センターなどの連絡先を確認し、何かあった時に相談できるようにしました。
また、営業所所長会議の際には、必ず外部講師によるメンタルヘルス教育とその後のディスカッションを設け、本社の産業医に同席してもらうようにしました。
そのような取り組みを重ねるかたわら、毎年の定期健康診断の折りにストレスチェック(職業性ストレス簡易調査票)を行い、高得点者には健診機関の保健師に面談してもらうことも始めました。
また、ストレスチェックの結果を職場ごとに分析し、仕事のストレス判定図から各職場の課題を抽出して、それに対応する取組みを行っています。
現在では、メンタル不調者が増加するような傾向はなく、年に何例かの休務者が出ても、復職時面談や職場調整委員会の開催、リハビリ出勤制度などを活用して、多くは順調に復職しているそうです。
このような取り組みは、メンタルヘルスケアのあり方を考える上で示唆的だといえるのではないでしょうか。
ここからは、職場における社員のメンタルヘルスの状況をみていきましょう。
厚生労働省の調査によると、仕事や職業生活に関することで強い不安、悩み、ストレスを感じている労働者は、ここ10年間にわたってずっと半数以上で、2021年も53.3%でした(図1)。*2:p.43
出所)厚生労働省「令和4年版過労死等防止対策白書」p.43
https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/001001664.pdf
痛ましいことですが、勤務時間を原因・動機とする自殺者もいます(図2)。*2:p.50
出所)厚生労働省「令和4年版過労死等防止対策白書」p.50
https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/001001664.pdf
図2の黒い折れ線をみると、勤務問題を原因・動機の1つとする自殺者の数は近年ほぼ横ばいで、2021年は 1,935 人でした。
ただし、自殺者数総数に対する割合は、2007年以降おおむね増加傾向にあり、2021年は 9.2%でした。
業務における強い心理的負荷によって発病したとする精神障害の労災請求件数や決定件数はどの程度なのでしょうか(図3)。*3:p.15
出所)厚生労働省「過労死等の労災補償状況 別添資料2 精神障害に関する事案の労災補償状況」p.15
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_26394.html
労災請求件数は、増加傾向にあり、2021年度は 2,346 件で、前年度に比べて295 件増加しています。
労災支給決定(認定)件数は、2012年度以降500件前後で推移していましたが、2020年度に600件を超え、2021年度は629件でした。*2:p.66
なお、2021度は、請求人が「業務で新型コロナウイルス感染症に関連する出来事などがあった」と申し立てた案件は、18件でした。
仕事や職業生活に関することで感じる、強い不安やストレスの原因はなんでしょうか。
就業形態別にみた強いストレスと、テレワークに伴うストレスについてみていきます。
厚生労働省の調査から、就業形態別にみた強いストレスの内容割合をみてみましょう(図4)。*4:p.14
出所)厚生労働省「令和3年「労働安全衛生調査(実態調査)」の概況」p.14
https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/r03-46-50_gaikyo.pdf
まず、正社員は「仕事の量」が最も多く、次いで「仕事の質」、「仕事の失敗、責任の発生等」が続いています。
契約社員は、「仕事の失敗・責任の発生」(33.9%)の割合が最も高く、次いで「対人関係」(18.4%)、「仕事の量」(17.9%)で、「仕事の失敗・責任の発生」と2位以下の差が大きいという特徴があります。仕事の失敗によって契約が更新されないおそれがあることにストレスを感じている可能性もあるでしょう。
次にパートタイム労働者は、「仕事の量」(37.8%)、次いで「対人関係(セクハラ・パワハラを含む)」(36.0%)、「仕事の失敗・責任の発生等」(28.4%)となっており、他の就業形態に比べて「対人関係」の割合が高いという特徴があります。
最後に派遣労働者は、「雇用の安定性」(65.0%)が圧倒的に多く、次いで「仕事の量」(28.1%)、「仕事の失敗・責任の発生等」(27.2%)となっていて、雇用状況が不安定なことからくるストレスに苦しんでいる状況が窺えます。
以上のように、職業に関連する強いストレスといっても、その就業形態によって原因が異なることから、それぞれに寄り添った対策が必要になるでしょう。
テレワークに伴うストレスも無視できません。
東京大学医学系研究科が、コロナ禍で在宅勤務を経験した人を対象として、2021年6月時点でストレスや不安について調査した結果から、テレワーカーもさまざまなストレスを抱えていることがわかりました。*5
完全在宅勤務者は、「出勤時の勤務よりオンオフがつけにくいことがストレスである」(51.6%)、「在宅勤務をする物理的環境(家、机、椅子など)がないことがストレスである」(49.2%)という結果でした。
ハイブリッド勤務(出勤と在宅勤務の混合)者は在宅勤務に対して「出勤時の勤務より、オンオフがつけにくいことがストレスである」、「出勤勤務している人に負荷がかかりやすくなることがストレスである」と感じている割合が、完全在宅勤務者と比べて有意に多くなっていました。
調査者は、テレワークに伴って労働者が抱えやすいストレスに応じて、職場で可能な配慮や対策を実施する必要があると指摘しています。
では、メンタルヘルスケアのためにどのような対策がとられているのでしょうか。
現在の自分の仕事や職業生活でのストレスについて「相談できる人がいる」と回答した労働者の割合は92.1%に上り、そのうち実際に相談した人がいる労働者の割合は69.8%です。*2:pp.44-45
では、その相談相手はどのような人でしょうか(図5)。
出所)厚生労働省「令和4年版過労死等防止対策白書」p.45
https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/001001664.pdf
図5をみると、「家族・友人」(71.5%) が最も多く、それに「上司・同僚」(70.2%)が続く一方で、「地域のかかりつけ医・主治医」「保健師又は看護師」「産業医」など医療の専門家は合計しても8.4%にすぎないのが気になるところです。
一方で、メンタルヘルス対策に取り組んでいる事業所の割合(2021年)を事業所の規模別にみると、50人以上の事業所は90%を超える割合ですが、30~49人規模は70.7%、10人~29人の事業所は 49.6%でした。*2:p.46
では、メンタルヘルス対策に取り組む事業者は具体的にどのようなことをしているのでしょうか(図6)。*2:p.47
出所)厚生労働省「令和4年版過労死等防止対策白書」p.47
https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/001001664.pdf
「ストレスチェックの実施」が最も多く、「職場環境等の評価及び改善(ストレスチェック結果の集団ごとの分析を含む)」、「メンタルヘルス不調の労働者に対する必要な配慮の実施」・「メンタルヘルス対策に関する事業所内での相談体制の整備」が続いています。
最も多かった「ストレスチェック」とは、医師、保健師などが心理的な負担の程度を把握するために行う検査で、2015年12月から労働者数50人以上の事業場に対し、義務づけられています。
上述の調査結果からもわかるように、仕事や職場生活が社員のメンタルヘルスに及ぼす影響は少なくありません。
冒頭でご紹介した事例のように、メンタルヘルスケアの取り組みから、思ってもいなかった社内の問題があぶり出されることもあるでしょう。
こうした観点から、職場環境やメンタルヘルスケアのための体制を整備することは、企業にとって、大切な社員を守るための重要な取り組みの1つです。