わたしたちは日常生活でもビジネスの場でも、「言語」を使ってコミュニケーションを取っています。
しかし中には、人に対する説得力がある人とそうでない人がいるのもまた事実でしょう。
この差が生まれる理由のひとつに「話し方」があることは想像に難くありません。
そこで今回は、実際に言語学の世界で観察・研究された数々の事例をご紹介します。
それら事例を通して、社内での円滑なコミュニケーションをはかる、あるいは誤解を防ぐための参考としてみてください。
「話し方」が人の印象を変えるのは、珍しいことではありません。
筆者にも会社に入りたての頃、このような思い出があります。
入社後、新入社員には様々な研修がありますが、そのうちのひとつに「2人一組で様々な現場体験をする」という期間がありました。
そして筆者の相手は、東京出身で東京の大学を卒業した同期入社の男性でした。
一方で筆者は関西の大学に在学中している間に、完全に関西弁や関西の会話習慣に慣れていたため、待ち時間の雑談でこのような会話運びを連発していました。
同僚:「この間、◯◯があって、△△だったんだよね」
筆者:「で?」
同僚:「いや、それだけなんだけど」
筆者:「はあ」
関西の人にはある程度お分かりいただけるかと思いますが、関西、特に大阪では友人同士の雑談の際、最後に「オチ」を求める傾向があります。話題を切り出す側も、何らかの「オチ」を用意していることが少なくありません。
その会話の中で出てくる「で?(ほんで?)」という言葉は、適度なタイミングで相手にオチを促し、会話を心地よいテンポで締め、最後は笑って楽しもうという意味合いがあります。しかし同僚は筆者が話す関西の言葉のイントネーションや、この「で?」という返しに戸惑ってしまいました。結果、彼は筆者に対して「怖い」という印象を抱いてしまったのです。
上記の会話の終わり方は、彼に「冷たい」という印象を与えていたようです。切り返しが「で?」というたった1文字でしかないことや、何かオチがなければ話しかけてはいけないのかと思うと怖い、という気持ちにさせていたのです。筆者には何の悪意もないにもかかわらずです。
このように、人が生まれた場所や過ごした場所、触れてきた文化によって会話に対する考え方や、会話のスタイルが異なるのは珍しいことではありません。
会話のペースや、物事を直接的に言う傾向があるか間接的に言う傾向があるか。どのような言葉を選択するか、どのような間合いを取るか、どのようにジョークを使うか等は人によって様々です。これらの個人によって異なる特徴的な話し方のパターンは「言語的スタイル」と呼ばれます。
アメリカの言語学の教授であるデボラ・タネン氏が、1995年の「ハーバード・ビジネス・レビュー」に興味深いコラムを寄稿しています。
コラムによるとタネン氏は、あるビジネスパーソンらについて、このような変化を観察しています*1。
例えば、デトロイト出身のボブとニューヨーク市出身のジョーの場合です。
ボブは、ジョーに会話の間合いをもっとゆっくりしてくれるという期待を抱いていました。しかしジョーの話し方の間合いはそうではなく、ジョーはボブの話の間にも割り込んで発言をしてしまいます。
これは、ジョーからすればボブが会話の間に見せる沈黙を不慣れで不快なものと感じてしまい、その沈黙を避けるために自分が話してしまうためです。単なる日常的な会話のテンポが両者で異なるために、思わず取ってしまう行動です。
しかしこの結果、ボブはジョーのことを強引で自分の発言に無関心な人であると思うようになってしまったのです。
またコラムでは、言語的スタイルの違いが、その人の評価を180度変えてしまう事例も紹介されています*1。
サリーがテキサスからワシントンDCに転居したとき、彼女はスタッフミーティングに割り込むチャンスを探し続けましたが、そのチャンスを見つけることはできませんでした。
テキサスでは彼女は外交的で自信に満ちていると見なされていましたが、ワシントンでは恥ずかしがり屋で内気であると見なされていました。彼女の上司は、アサーショントレーニング※を受講することを勧めさえしました。
※アサーショントレーニング=自分の意見を適切に伝えるトレーニング。
いずれも、会話の中で生まれるたった数秒の休止が必要か不快か、それだけのことで起きてしまったすれ違いです。
しかし「それだけのこと」が、各個人に大きな違和感を覚えさせてしまうのもまた事実なのです。
また、言語的スタイルの個人差として、物事を直接的に伝える傾向のある人と間接的に伝える傾向のある人が存在します。
タネン氏は、この違いが原因で起きた航空機事故を紹介しています。事故はエアフロリダの飛行機がワシントンDCの空港から離陸しようとした直後にポトマック川に墜落し、搭乗していた74人のうち5人を除く全員が死亡したというものです*2。
ブラックボックスの解析により、離陸前に操縦士と副操縦士の間に以下のようなやりとりがあったことが判明しました。
離陸前、飛行機の氷を取り除く作業の後、それでも離陸までの待ち時間が長いことを2人は心配していました。その間のことです。
副操縦士:飛行機の後ろにぶらさがっている氷の塊があることなど、全部見えますか?
操縦士:ああ、わかっているよ。
副操縦士:これは待っても無駄な抵抗かもしれませんね。安全だと勘違いさせてしまうかもしれない。
(副操縦士は離陸直前に計器の異常などを伝えていたが、ここで改めてその問題を操縦士に指摘することはしなかった)
副操縦士:あ、そんなことはないですよね、いかがでしょう?(3秒の沈黙)あ、そんなことはない、大丈夫だ。
操縦士:ああ、大丈夫だよ。
副操縦士:いや、大丈夫ではないと思いますが…(7秒間の沈黙)あ、いや、大丈夫かもしれません。
非常に曖昧な会話を交わしただけのまま、飛行機はその後離陸し、悲劇的な結果をもたらしました。
副操縦士が機器の異常などに気がつき、一度はそれを指摘していながらも、ここではそれを改めて強く発言することはなく、操縦士に行動指針を直接的に提案しないまま「沈黙」という形で操縦士の意見を間接的に否定しようとしたと考えられます。
副操縦士としてはつららがいまだ機体にぶら下がっていることを指摘し、操縦士に危険を伝えたかったのでしょう。しかし操縦士の「そんなことはわかっている」という雰囲気の返事から、態度を軟化させてしまい、自分の懸念を強く主張できなかったと考えられます。
実はこの操縦士は寒冷地に不慣れでした。副操縦士が機器の異常や自分の意見を直接的に繰り返し伝えていれば、このような悲劇は起きなかった可能性があります。
ここまで見てきたように、人の話し方は自然と身についた無意識のものであったり、衝突を避けたいという意図が働いたり、あるいは「場の空気を読む」ことに気を取られたり、といった要素で大きく異なってしまいます。
しかし、ちょっとした間合いや言葉選びによって個人本来のパフォーマンスを左右することもあるというわけです。
言語スタイルに関する他の研究では、例えばなまりや話すスピードの違いが相手に与える印象を左右したり*3、カタカナ語を多用するかそうでないかでその人が知的であるかどうかの印象が変化したりする*4といった結果も得られています。
しかし、カタカナ語が知的な印象を与えるからといって、相手に話の中身が伝わらなければ意味はありません。
これらに絶対的なルールはないと筆者は考えています。
ひとつ言えることは、相手のパフォーマンスを最大限に引き出すためには、相手にとって心地よい言語スタイルがどのようなものかを把握し、それに合った話し方をすることが重要だということです。
ビジネスシーンでは、その人が「何を言うか」が注目され、評価の対象になりがちです。
しかし、環境や話し相手によっては、それが相手の本質ではないことも珍しくはないのです。
言語スタイルの違いを理解することが相手に対する真の理解につながり、すれ違いを防ぐ大切な要素であるという事実は知っておきたいものです。