近年、投資家は企業に対して、財務情報だけでなく環境問題への取り組みなど「非財務情報」について興味を高めています。
そのうちのひとつが「人的資本に関する情報」です。2023年3月期以降の決算から、上場企業には人的資本に関する情報開示が義務付けられています。人材への投資や育成の現状を有価証券報告書などで開示するというルールです。
しかし「人的資本」への取り組みとは、いったいどうすれば可視化できるのでしょうか。
まず、「人的資本の可視化」がなぜ必要なのか、内閣官房の資料をもとに見てみましょう。一部を抜粋すると、このようなメリットが期待できるといいます。
- これまで、自社の人的資本への投資は、財務会計上その太宗が費用として処理されることから、短期的には利益を押し下げ、資本効率を低下させるものとしてみなされがちであった。そのため、企業による資本効率向上のための努力が重ねられる中、足下の利益を確保するために人的資本への投資は抑制されたり、後回しにされやすい構造にあった。
- しかし、企業の競争優位の源泉や持続的な企業価値向上の推進力が、無形資産(人的資本や知的資本の量や質、ビジネスモデル等)にあるとの認識が広がる中、人的資本への投資は、競合他社に対する参入障壁を高め、競争優位を形成する中核要素であり、成長や企業価値向上に直結する戦略投資であるとの認識が、企業のみならず、投資家においても広がりつつある。
- 今や多くの投資家が、企業が将来の成長・収益力を確保するためにどのような人材を必要としていて、具体的にどのような取組を行っているか、人材戦略に関する経営者からの説明を期待している。彼らは、人的資本への戦略的な投資が、社会のサステナビリティと企業の成長・収益力の両立を図る「サステナビリティ経営」の観点からも重要な要素と捉えている。
<引用:「人的資本可視化指針(案)」内閣官房>
https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/sustainable_sx/pdf/007_05_00.pdf p1
※赤字は筆者追加
では実際、「人的資本」への投資をどのように可視化すれば良いのでしょうか?それも、投資家の理解を得られる形でです。
では、どのようにして「人的資本」への投資を可視化すれば良いのでしょうか。
内閣官房の資料では、下のようなステップを紹介しています(図1)。
(出所:「人的資本可視化指針(案)」内閣官房)
https://www.meti.go.jp/shingikai/economy/sustainable_sx/pdf/007_05_00.pdf p7
まず最初に必要なのが、図にもあるとおり、「自社の人的資本、人材戦略を整理してみる」ことです。実際、投資家へのアンケート調査では、人的資本に関し投資家が優先的な開示を期待する内容として「経営層・中核人材の多様性の確保方針」、「中核人材の多様性に関する指標」、「人材育成方針、社内環境整備方針」などが上位に挙がっています*1。
しかし、この段階で躓いている企業は少なくありません。
というのは、パーソル総合研究所によれば、実は多くの企業が人的資本情報の開示について下のような悩ましさや懸念を感じているからです(図2)。
(出所:「人的資本情報開示に関する実態調査」パーソル総合研究所)
https://rc.persol-group.co.jp/thinktank/assets/human-capital.pdf?_fsi=zHdDIRD2 p23
「定量化の難しさ」以上に、「理想と現実のギャップ」「開示内容の範囲や深さ、切り口」「社員の意識改革、連携、意思統一」といった項目が上位にきています。
つまり、人員配置まではできたとしても、その後のパフォーマンスは理想よりも遠い状況にある、現在打っている人材施策を客観視できていない、社内での意思統一ができていないためにより可視化が難しくなっている、というわけです。
また、人事部の層と役員層では、人的資本のマネジメントについて、大きな認識ギャップが生じていることもわかっています(図3)。
(出所:「人的資本情報開示に関する実態調査」パーソル総合研究所)
https://rc.persol-group.co.jp/thinktank/assets/human-capital.pdf?_fsi=zHdDIRD2 p18
経営指標化、データ化、人事分野でのデータ蓄積、モニタリングについて人事部長と役員層の間では大きな乖離が生じているようです。
これは、経営層と人事部の間に大きな認識の違いがあることを示しています。
これでは公表のしようがありません。まさに「意思統一」ができていない状況です。
では、人的資本情報の開示について成功している企業はどのような手法を取っているのでしょうか。最も分かりやすく重要なことは「外部に実態が分かりやすい」ことです。
ひとつ面白い事例を紹介したいと思います。
人材コンサルティング企業のリンクアンドモチベーショングループでは、「Human Capital Report」を発行しています。おもに社員に対してどのような研修を実施しているか、参加率や費用などについても紹介していますが、後半に「経営陣のスキルマトリクス」なるものが登場します(図4)。
(出所:「Human Capital Report 2021」リンクアンドモチベーショングループ)
https://www.lmi.ne.jp/ir/library/h_c_report/pdf/h_c_report_2021.pdf p27
現代のビジネスでは、さまざまな分野に精通した人事構成が求められています。それをどこまで達成できているかを示すのが上の図です。しかも「役員」についてその情報を開示しているという点で画期的だと筆者は考えます。
また、実は人的資本に関する情報開示の指針としては、国際基準がすでに存在しています。2018年に国際標準化機構(ISO)が発表した「ISO30414」です。
このガイドラインでは、以下の領域に関する指標を定めています(図5)。
(出所:「ISO30414(人的資本に関する情報開示のガイドライン)」野村総研)
https://www.nri.com/jp/knowledge/glossary/lst/alphabet/iso30414
国内では、トヨタグループの豊田通商がアジアで2社目にISO30414の認証を取得し、「Human Capital Report 2022」として公開しています*2。
これらの指針をもとに人材資本情報について社内で収集する段階で、このような気づきを得たと言います。
ISO30414で大企業に開示推奨された指標を開示しましたが、全てが立派な数字というわけではありません。むしろ、まだできていない点を自分たちで把握できたという意義があります。今回は日本単体で取得しましたが、次にグローバルでどう取り組んでいけばよいかも見えてきました。
<引用:「豊田通商がアジア2社目のISO30414認証取得、『人の豊通』を目指す人的資本経営とは」日経BP>
https://project.nikkeibp.co.jp/HumanCapital/atcl/column/00056/120100011/
「できていないこと」「何ができていないのか」を把握する。これは自社を客観的に見つめるにあたってとても大切な事柄であると筆者は考えます。
そして、それを開示するにあたっては、当然役員層と人事部層との情報共有・連携は欠かせないものになっていきます。
なにもかも人事部に任せ、しかもそこに統一見解がないという状況では、「言われたままになんとなく働く」だけの社員を増やすことになってしまい、現場の管理職をも困らせてしまうことになります。
開示する、しないに関係なく、今一度経営層と人事部の間に方向性の違いはないか、人材を扱う方針について同じ意識を共有できているか。
人的資本に関する情報を整理することは、自社の人事方針や採用方針をよりクリアにし、必要最小限の的を絞った採用活用に踏み出す一歩にもなることでしょう。