社会には、病気や障害によって、当事者でないとわからない不便を抱えている人が少なくありません。そのうちのひとつが、私たちの生活に不可欠ともいえるトイレです。
6月に、静岡県のある自治体で始まった「トイレ」に関する工夫がニュースで紹介されています。
磐田市が市役所の本庁舎などの男性トイレにサニタリーボックスの設置を始めた、というものです。
サニタリーボックスといえば、女性トイレ特有のものだと思われがちですが、磐田市はなぜ男性トイレにも設置しはじめたのでしょうか。トイレには、真のインクルージョンについて考えるヒントがあるようです。
静岡県磐田市が男性トイレにサニタリーボックスを設置し始めたのはこのような理由からです。
前立腺がんや膀胱がんの治療をした男性は尿漏れパッドを使うことが多く、外出先で処理する場所がないという問題があったのです*1。
そして磐田市民から「男性トイレにもサニタリーボックスを設置して欲しい」といった声が寄せられ、市は、人目を気にせずに尿漏れパッドを処理できるよう男性トイレにサニタリーボックスを設置することにしたといういきさつです。
今後、市が管理する公園のトイレでも設置が進められます。
このように、当事者でなければ気づきにくいことは他にもあります。
トイレの使用について言えば、昨年5月に東京高裁で、ある訴訟の控訴審判決がありました。
訴えを起こしたのは経済産業省に勤務する男性職員です。この職員は、戸籍上は男性で性別変更はしていないものの性認識は女性であり、事情を説明して外見上は女性として勤務しています。
ただ、問題は女性トイレ使用の自由が認められていなかったことでした。
戸籍上の性別変更をしていないことを理由に、勤務場所から2階以上離れた女性トイレを使用するよう制限を設けられていたのです。
性自認に基づいた性別で社会生活を送ることは、法律上で保護された権利です。
また、この職員には、健康上の理由から性適合手術は受けていなかったものの、長年ホルモン療法を続けているという事情もありました。
職員の事情を汲み、一審の東京地裁では経済産業省の措置を違法とする判決が下されました。
しかし控訴審である東京高裁はこの判決を覆し、経済産業省の対応に違法性はないと判断しました*2。
なお、職場の上司が「(性別適合)手術をしないなら、もう男に戻ってはどうか」と発言したことに対しては違法性が認められましたが、その賠償については一審判決の132万円から11万円へと減額されました。
公益財団法人「交通エコロジー・モビリティ財団」によると、男女別トイレしかないことにストレスを感じる人は他にもいるといいます*3。
・発達障害がある人=トイレのマークが場所によって異なると、どちらが男性か女性か分からず混乱する場合がある。また、発達障害児者の中には、性別違和を持つ人の比率が高いという調査が複数ある。
また、発達障害児者の中には、トイレの使用時に介護を必要とする場合があるが、その介護者は同性とは限らないため、同じ部屋に入ることに抵抗がある。
・知的障害がある人=介助者がトイレに入っている間に本人がいなくなってしまう心配があり、介助者がなかなかトイレを利用できない。
そして、このような課題もあるといいます。
多様な障害や様々な困りごとについて社会の理解とバリアフリー化が進み、多様な障害者が外出しやすくなったことも伴って、新たな課題が見えてきました。それは多機能トイレに「利用を必要とする人たちが集中してしまったこと」です。大型ベッドやオストメイト用汚物流し、さらには幼児用小便器やベビーチェア、フィッティングボードなど、いわゆる全部載せとも言われる機能が集約したために、それらの機能を必要とする利用者が時に集中してしまい、結果、長く待たされる、なかなか使えないなど新たな困りごとが発生しています。
また、残念ながら、車椅子利用など「見た目にわかる障害」と、オストメイトの方や異性・保護者同伴利用を必要とする知的障害・発達障害など「見た目にわからない障害」との間で、見た目にわかる障害の方が有利であるといった周囲の視線や場の雰囲気から、ヒエラルキーが生じてしまうケースも起きています。
<引用:「男女共用お手洗 All gender toilet について」エコモ財団>
http://www.ecomo.or.jp/barrierfree/pictogram/allgender_toilet/
こうした課題を受けて、「ジェンダーレス」だけでなく、より用途を広げたトイレを設置する動きもあります。LIXILが2019年、新社屋に設置した「オルタナティブ・トイレ」は、自分にあった個室を選べるように設計されています(図1、2)。2020年のグッドデザイン賞を受賞しました。
https://www.g-mark.org/award/describe/51220
男性用、女性用を明確に分けた個室に加えて性別を問わない個室、また、小さな子どもを連れている人に配慮した個室などさまざまです。
性同一性障害やその他の「見えない障害」については、徐々にその理解は広まりつつあります。しかし、さまざまなマイノリティの存在が知られると同時に、個別の事情への配慮が逆に難しくなっているという現象が起きていることでしょう。「きりがない」となってしまうのは事実ではあります。
しかしそれは、既存の「線引き」「枠組み」やその延長線上だけでものごとを考えてしまっているからかもしれません。
「障害があるかないか」「戸籍と性自認が一致しているかしていないか」。
そうした二元論のような考えから脱却しない限り、「多様性」は「山ほどの個別の事情を考慮しなければならない面倒なもの」と捉えられがちです。
そのように複雑に捉えるのではなく、できる限りあらゆる可能性を考え、先回りの「インクルージョン」を準備することが賢明でしょう。
「標準」とはなんなのか。
一度、ゼロに戻って考える想像力が必要な時代とも言えます。