人事部の資料室

“Enjoy baseball”で107年ぶりの優勝 森林監督流キャリアデザインの描き方

作成者: e-falcon|2023/10/03

2023年8月、「夏の甲子園」で慶應義塾高等学校野球部が107年ぶりに優勝し、旧来の「高校球児」とはかけ離れた個性的なチームのあり方、森林貴彦監督のユニークな監督ぶりやリーダーシップが話題になりました。

それも大変興味深いのですが、この記事では監督のキャリアの描き方にもフォーカスしたいと思います。森林監督の生き方があのチームに反映していないはずがないからです。そして、それはくしくも現在、国が推進しようとしている「リスキリング&キャリアアップ」の成功例ともいうべきもの。

それはどのようなものでしょうか。

“Enjoy Baseball”の意味

慶應義塾高等学校野球部(以後、「野球部」)の活躍ですっかり有名になった“Enjoy Baseball”は脈々と続く「野球部」のテーマです。
では、“Enjoy Baseball”とは何でしょうか。

それぞれの解釈に委ねられている

そこに1つの意味はありません。決まった解釈があるわけではなく、これまでそれぞれの監督がそれぞれに解釈しながら大切にしてきたテーマなのです。*1

ことばは受け継いでいく。しかしその解釈はあくまで相手に任せる。
それがいかにも慶應らしいと、同大学出身の筆者は思います。大学時代に出会った先生方は、学問においてはどなたも厳しい姿勢をお持ちでしたが、なにか1つの考えを絶対的なものとして学生に押し付けるというようなことは、決してなさいませんでした。
「君はどう考えるの?」それが基本。

では、森林監督はこのことばを、どのように解釈しているのでしょうか。「野球部」の監督メッセージを覗いてみましょう。*2

慶應義塾の野球の底流にあるEnjoy Baseballを大切にし、追求していくことも我がチームの大切な務めの一つです。今のレベルより少しでも上達して高いレベルの野球を楽しむ気概を持つこと、そのための努力や工夫を怠らないこと、部員一人一人が独立していて自分から野球に積極的に取り組むこと、このようなことの積み重ねが、Enjoy Baseballを体現することに他ならないと考えています。

理念の力

優勝の2週間ほど後にNHK神奈川放送局で監督と大村昊澄キャプテンにインタビューが行われました。神奈川県大会から甲子園まで12連勝しての優勝。その過程で、果たして2人は本当に野球をenjoyできたのでしょうか。

まず、キャプテンは、神奈川県大会の決勝戦をこう振り返っています。*1

決勝戦が行われた横浜スタジアムは対戦相手である横浜高校の優勝を望む人が多いアウェイ。しかも最終回までビハインドという展開も厳しかった。でも・・・。

厳しい試合ではあるんですけど、でもそれ以上に楽しいという思いが強くて、甲子園を懸けた勝負をこんな満員の横浜スタジアムで、横浜高校というもう本当に最高の相手とやれているという今のこの瞬間が楽しくてしかたなくて、厳しい思いもありましたけど、その何倍も何倍も楽しい思いのほうが強くて、笑顔でいられました。

一方、監督は甲子園の決勝戦で不思議な感覚を味わっていたといいます。

・・・もちろん試合なので勝ちたいですし、リードしている状況だったら早く試合が終わってほしい、早く勝ちたいという気持ちがある一方で、何かこう不思議なんですけど、ずっと野球をやっていたいなというか。もうこのチームとして最後の試合ですから、この試合が終わってほしくないなって、ずっとこういうすばらしい相手と、こういうすばらしい舞台でずっと野球できたら楽しいなという感覚もありまして。何かこういう感覚って本当に野球を純粋に楽しめてる状態なのかなと。

2人とも、ここぞいうという局面で野球を心からenjoyできたというのです。
決勝にまで進むための努力や工夫の積み重ね。それを支える“Enjoy Baseball”という理念。それらが引き寄せた心境であり勝利だったのではないでしょうか。

*3
出所)慶應義塾大学「慶應義塾高等学校野球部、夏の甲子園で107年ぶりに全国制覇」(2023/08/23)
https://www.keio.ac.jp/ja/news/2023/8/23/27-144784/

「森林さん」

髪型が自由であることと並んで、監督を「森林さん」と呼ぶことも話題になりました。ただし、実はこれも森林監督が始めたことではありません。
監督は著書『Thinking Baseball―慶應義塾高校が目指す“野球を通じて引き出す価値” 』の中で、恩人と仰ぐ上田誠氏との思い出にふれています。*4

監督が高校2年だった1990年8月。「野球部」の監督に就任した上田氏は選手たちに「パラダイムシフト」をもたらしました。
「セカンドへのけん制の新しいサインを、自分たちで考えてみなさい」と告げたのです。

「サインは指導者が考えるもので選手はそれに従うだけ」、そういう価値観だった森林監督は驚愕します。
選手たちは議論に没頭し、新しいサインを編み出しました。そして、数日後の練習試合で実践してみると、見事、アウトを取ることができた。

自分たちでサインを考えることの楽しさとやりがい、そして責任感。
実際にその後は野球が本当に楽しくなり、より追求していきたいという思いが芽生えた、あれが転機だったと森林監督は振り返っています。

後年、その意図を尋ねた森林監督に上田氏はこう言い放ったとか。
「自分たちで決めたほうが楽しいだろう」
“Enjoy Baseball”に通底する価値観です。

その上田氏は自身を「監督」とは呼ばせませんでした。肩書きで呼ぶと上下関係が固定化され、フラットな人間関係が作れない。その点、「さん付け」なら、一緒に勝利を目指す仲間、少し上の先輩だと認識してもらえます。

選手よりずっと年上の大人と高校生がフラットな関係でいることはまず不可能です。しかし、大人の方から選手側に近づいていくことによって、言いたいことがあったときに言いやすい関係になれる。
森林監督は、上田氏のやり方を踏襲し、自らを「森林さん」と呼ばせているのです。

これも慶應らしいと筆者は思います。
慶應ではすべての教員は正式な場では「君づけ」で呼ばれます。「先生」と呼ばれるのは、「福澤諭吉先生」だけ。
筆者の大学時代は現在のように大学のポータルサイトなどありませんでしたから、休講のお知らせは大きな掲示板に張り出されていました。そこは「〇〇君、休講」というカードのオンパレード。
もちろん、学生が教員を「君呼ばわり」することはなく、面と向かえば「〇〇先生」でしたが、学生同士で教員の話をするときは基本「〇〇さん」です。

ちなみに、筆者のゼミの指導教員はチェーンスモーカーで、今では考えられないことですが、ゼミの最中にもタバコを手放しませんでした。タバコに火をつけながら、「君たちも、どうぞ」と当たり前のように言っていたのを思い出します。

そういえば、甲子園でのOG・OBの強烈な応援ぶり、「過熱ぶり」が一部の方々の顰蹙を買いました。もし言い訳を許していただけるなら、そういった校風に身を置いた経験から、慶應出身者は「野球部」に母校の文化を見出し、つい熱が入ってしまうという背景があることをお伝えできたらと思います。

森林監督のキャリアデザイン

森林監督の「野球部」監督就任は2015年8月。それから3年足らずの2018年春には9年ぶりに春の甲子園大会出場を、同年夏には10年ぶりに夏の甲子園出場を果たしました。*4
その躍進を支えた監督の哲学やポリシーはどのようなキャリアによって育まれたのでしょうか。

営業パーソンから大学院生に

森林監督は大学卒業後、3年間NTTに勤め、法人営業を担当していました。*4
それは現在の監督業につながる貴重な経験だったといいます。
野球から離れていたこの時期に特に学んだのは、チームワークの大切さと、個人の役割を全うすること。

しかしNTTで働くうちに野球の指導者になりたいという思いが湧いてきて、ついに退職を決意。2000年に筑波大学大学院博士前期課程に入学し、コーチングについて学びます。*5

修士論文のタイトルは「主観的努力度の変化が野球のピッチングパフォーマンスに及ぼす影響」。その興味深い研究の一端をご紹介しましょう。*4

「努力度」とは、力の入れ具合のこと。森林監督は、その努力度とパフォーマンスの関係性に着目しました。
全力投球やフルスイングは努力度100%。興味深いことに、努力度80%で投げたとき、速球は8割程度になるのではなく、大抵の場合、9割程度の数字に落ち着くというのです。

これはピッチングだけでなく、バッティングやランニングでも同じで、8割ほどの力でプレーしていると、およそ9割程度の結果が出る傾向があります。
また、逆に全力でプレーしたときに百点満点の結果がでるわけではありません。余計な力みが生じてしまうからです。

ピッチングに関しても、スピードだけでなくコントロールの兼ね合いがあるため、仮に100%のスピードが出たとしてもうまくコントロールできないという事態が生じてしまったら、意味がありません。

スピードとコントロールの両立のためにちょうどいいのはどこか。2年間の研究では明確な結論は出ませんでしたが、そのさじ加減を選手が習得し、最高のパフォーマンスを実現するための秘訣を、選手と一緒に探る努力を続けているということです。

今回の優勝に際して、筑波大学体育スポーツ局長は以下のようなメッセージを送っています。*5

森林監督が本学大学院で学ばれたコーチング理論やマネジメント手法を現場の指導に活用され、選手各々の能力を引き出す科学的なトレーニングや主体性を尊重した考える野球を貫徹された成果であり、日本のスポーツ界に一石を投じるエポックメーキングな出来事と言えるでしょう。

小学校の担任と監督の二刀流

森林監督は大学院在学中に教員免許取得に必要な科目を学び、現在では慶應義塾幼稚舎(小学校)教諭も勤め、クラス担任もするという、ユニークなポジションにあります。*4

幼稚舎からグラウンドまでの移動時間は50分。時間的には厳しいものがありますが、このポジションだからこそのメリットもあるといいます。
子どもである小学生と、子どもと大人の中間にある高校生とは、同じところも極端に異なる部分もあり、そこからさまざまな気づきが得られているのです。

今の時代に求められる人物像

経済産業省は「未来人材ビジョン」で、「新たな未来を牽引する人材」について、以下のような人物像を描いています。*6

好きなことにのめり込んで豊かな発想や専門性を身に付け、多様な他者と協働しながら、新たな価値やビジョンを創造し、社会課題や生活課題に「新しい解」を生み出せる人材である。 そうした人材は、「育てられる」のではなく、ある一定の環境の中で「自ら育つ」という視点が重要となる。

森林監督は驚くほどこの人物像に符合しています。
さらに、「自ら育つ」ためのリスキリングと、それによるキャリアアップの重要性。*7
そこにもぴったり重なります。

大企業を辞してまでリスキリングに踏み出し、自身の目指す道に邁進する。もしかしたら、それができるほど恵まれた環境にいる人ばかりではないという批判があるかもしれません。
しかし、森林監督が自らのポテンシャルを高めることができたのは、恵まれた環境にあったからなのでしょうか。

いずれにせよ、森林監督のこうしたキャリアの歩み方は、間違いなくあの個性的なチームに反映され、大舞台で勝利を引き寄せる遠因となった。あの勝利は偶然ではない。そう考えるのは、きっと筆者だけではないはずです。