メンバーの力を引き出す「エンパワーメント」 権限委譲の円滑なプロセスとは

    「エンパワーメント」とは、組織における「権限移譲」の意味で多く使われる言葉です。
    上司ではなく部下に、現場のことは現場に、といった形で業務遂行や意思決定の権限を与えることで、個人やチームの能力を引き出すことが期待されています。

    指示待ち、自分の業務について意見を持たない、判断をしない。
    そのような社員ばかりでは組織の先行きは危ぶまれます。

    そこで近年注目されているのがエンパワーメントによる組織運営です。

    「現場の自主性を削いでいる」巨大企業が抱いた危機感


    「業務内容に精通しているはずの担当者に責任を担わせるのが原則だ」。
    ミシュラン創業者のひとりであるエドゥアール・ミシュランの価値観です。多くの人が納得する言葉でしょう。

    そんなミシュランでも、2000年代、大きな危機が訪れていました。

    ミシュランは2000年半ばから、「MMW」という、標準化した業務プロセスやツールなどによる生産性向上の取り組みに着手していました。
    これは特段変わったことではありません。この頃は世界中の自動車メーカーやサプライヤーが管理へのこだわりを強め、業務プロセスの標準化に突き進んでおり、MMWは時代の流れに沿ったものです。

    しかし、人事担当者は頭を抱えるようになりました。

    工場のリーダー層から「現場の自主性や創造性を削いでいる」と懸念の声が上がるようになった。創業者の一人エドゥアール・ミシュランが掲げた「業務内容に精通しているはずの担当者に責任を担わせるのが原則だ」という自社の価値観と相容れないようにも思われた。
    当時の人事責任者ジャン=ミシェル・ギロンは同僚に、「我々は魂を失いつつあるのだろうか」と語ったという。

    <引用:ハーバード・ビジネス・レビュー2021年3月号 p52>

    そこでミシュランが着手したのが、エンパワーメントを意味するフランス語である「レスポンサビリザシオン」という取り組みです。

    認識の乖離〜「知らなかった」という事実を「知らなかった」


    では、どのように始めれば良いのか。
    対象になった現場のひとつであるルピュイ工場のリーダー、オリビエ・デュプランはまず、40人のメンバーに対してこのような声をかけることから始まりました。

    「わたしが今日する仕事のうち、あなたがたが明日から肩代わりできるのはどれだろうか」

    <引用:ハーバード・ビジネス・レビュー2021年3月号 p54>

    さて、管理職にある人は部下からどのような答えが返ってくると思うでしょうか?

    工場のメンバーたちの反応はこのようなものだったのです。

    工員たちは、デュプランが毎朝、機械の点検と報告のために自分たちの持ち場に立ち寄った後に何をしているのか、まったく知らなかった(「カフェで暇を潰すのでしょう」と言う者さえいた)。デュプランは、「自分もみんなの業務を具体的に知っているわけではない」と気づいた。

    <引用:ハーバード・ビジネス・レビュー2021年3月号 p54-55>

    管理職にとっては少し寂しい反応かもしれません。
    しかし製造業に限らず、これは多くの組織で起きうることだと筆者は想像します。

    筆者も会社員時代には何人もの「部長」を見てきました。さまざまなタイプに分かれます。
    なかでも、

    ・妙な秘密主義=あまり席におらずあちこち会議に出ているようだが、何を誰と話し合っているのかわからない。突然予想だにしない指示を出してくるが、その意味を部下は理解できない。

    ・ずっと席にいる=常にパソコンに向き合って何かをしているようだが、何をしているのか想像がつかない。ただ自分達を監視しているだけなのかと思ってしまう。

    この2タイプの上司については、現場の理解は及びません。ミシュランの工場従事者のように、カフェにいるのか自席でネットサーフィンでもしているだけなのか。
    そう疑われても不思議はないのです。

    認識の差を埋める試み〜現場だからこその配慮


    そこで、ルピュイ工場のリーダー、デュプランはこのように手法を変えました。

    そこで両者は申し合わせをした。デュプランが2~3回シフトに入り、チームと一緒に仕事をする。その後に各シフトから1人ずつ合計3人の部下が1週間、デュプランに付いて回り、工員の権限を拡大する余地を探り出すのだ。

    <引用:ハーバード・ビジネス・レビュー2021年3月号 p55>

    まずは互いが互いの勤務を経験してみることから始めようというわけです。

    そして実際に行われた最初の権限委譲は、シフト作成です。デュプランはこれを現場チームに任せることにしました。最初の一歩と言えるでしょう。

    すると、現場チームは早速オリジナリティを形にしました。
    勤続年数の長い職員を夜勤から外して昼間勤務に当てること、そして、同僚同士で自由にシフトを交代できるよう自ら決めたのです。

    年長者の夜勤除外、これは現場を知らなければできないことのひとつです。現場を見ていない管理職はそれを「不平等」と捉えかねません。しかし、現場の考え方は違うのです。

    次いで、デュプランは生産計画を任せるようにもしていきました。

    他の工場では、従業員は責任が増すにつれ多くの情報を求めるようになったといいます。それまでは工員は、自分たちがつくるタイヤがどこに出荷されるのかやコストについて全く知りませんでしたが、権限委譲が進むにつれ、工員が工場長なみの情報を持つようになったのです。

    そして2016年の末には、こうしたエンパワーメントの結果、生産性を10%アップさせた工場も出現しました*1。

    権限を与えれば良いとは限らない


    ミシュランの事例では、エンパワーメントは成功していると言えるでしょう。

    ただ、これは、上司と部下が「まず互いの日常を理解する」ことから始まっていることが重要だと筆者は考えています。

    近年、若手社員や新入社員の意識として「仕事の裁量」を求め、それを「やりがい」として欲する傾向があるように筆者は感じています。
    「指示待ち」「判断しない」といった傾向を持つ若者ばかりが集まるよりも、チームの中にこうした意識を持つ若手がいるのは良いことでしょう。

    だからといっていきなり権限を持たせるわけにはいかないというのも当然のことです。ビジネスや組織というのは、彼らが考えるほど簡単なものではないからです。

    ただ、その「簡単ではない」ということをどう示すか。
    これはエンパワーメントにおいて意識すべきポイントのひとつです。

    学んだことや意識も違う環境に育った部下世代に対し、いきなり否定から入るスタンスはよくありません。組織の透明性を示すにあたっても、誰がどんな仕事をしているかをまず示し、それがどれだけ難しいことか、あるいは自分達にならどこまで理解できそうかをきちんと互いに認識すること、それがエンパワーメントの本質だと筆者は考えます。

    「文句を言うなら、自分達でやってみろ!」
    そんな乱暴な発想をする上司は、部下の不満も自分の仕事もためこんでしまう、いまや組織のボトルネックになるだけともいえます。

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    著者:清水 沙矢香
    2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。
    取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。

    *1
    「ハーバード・ビジネス・レビュー」2021年3月号 p59