創造的破壊の仕組みを持とう 生物学者が提唱する「動的平衡」の考え方とは
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」
鴨長明「方丈記」の冒頭に綴られている言葉です。
水の流れは変わらないように見えても、水そのものは常に入れ替わり続けている、諸行無常を表現したものですが、私たちの身体についても同じことがいえます。
生物学者の福岡伸一氏が提唱している「動的平衡」の概念がまさにそれです。細胞が集合して作られている体という組織は外見は同じでも、体を構成している物質は常に新しいものと入れ替わり続けています。
数か月後の私たちの体という組織は、細胞レベルで言えばすべて新しいメンバーに入れ替わっているのです。一方でそれが、体を維持させるために欠かせないことです。
この考えは、会社組織にも当てはまりそうです。
生物の体で起きている「動的平衡」とは何か
「生きてるって何ですか」の問いに、それは「動的平衡」と答えてきたのが、分子生物学者の福岡伸一氏です。
福岡氏は動的平衡を「ざっくり」このように定義しています。
絶え間なく動き、入れ替わりながらも全体として恒常性が保たれていること。人間の社会でいえば、会社組織とか学校とか、人が常に入れ替わっているのにブランドが保たれている、そういうものをイメージしてもらってもいい。
<引用:「『動的平衡』を書いた福岡伸一氏(青山学院大学教授・分子生物学者)に聞く」東洋経済オンライン>
https://toyokeizai.net/articles/-/10108
福岡氏はこの考えを、分子生物学の観点から発見しています。
動物の身体は常に入れ替わっている
まず、生き物の中で常に働いている「動的平衡」についてご紹介しましょう。
私たちの体は「食べたものからできている」とよく言いますが、まさにその通りの出来事が生き物の体の中では常に起きています。
日本が太平洋戦争に突入しようとしたとき、あるユダヤ人の科学者が、マウスを用いた実験でこのようなことを突き止めていました。
アミノ酸はマウスの体内で燃やされてエネルギーとなり、燃えカスは呼気や尿となって速やかに排泄されるだろうと彼は予測した。結果は予想を鮮やかに裏切っていた。
標的アミノ酸は瞬く間にマウスの全身に散らばり、その半分以上が、脳、筋肉、消化管、肝臓、膵臓、脾臓、血液などありとあらゆる臓器や組織を構成するタンパク質の一部となっていたのである。そして、三日の間、マウスの体重は増えていなかった。
これはいったい何を意味しているのか。マウスの身体を構成していたタンパク質は、三日間のうちに、食事由来のアミノ酸に置き換えられ、その分、身体を構成していたタンパク質は捨てられたということである。
<引用:福岡伸一「動的平衡」p230>
わかりやすくいうと、もともと人体を構成していた分子は、食べ物として新たに入ってきた物質が形作った分子と完全に入れ替わりながら、しかしマウスそのものは変化せずにいるということです。
「新陳代謝」とは実際そのことをさす言葉ですが、よくよく考えてみれば不思議なことです。
だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数ヶ月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、澱みとしての私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。
つまり、環境は常に私たちの身体を通り抜けている。いや「通り抜ける」という表現も正確ではない。なぜなら、そこには分子が「通り過ぎる」べき容れ物があったわけではなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自体も「通り過ぎつつある」分子が、一時的に形作っているにすぎないからである。
<引用:福岡伸一「動的平衡」p231-232>
私たちの体を構成している分子が常に違うものと入れ替わっているのならば、私たちの体は姿や形を変えてしまいそうなものです。しかしそのようなことはありません。
もっと言えば、私たちが記憶の主体と考えているはずの脳細胞も常に別物と入れ替わっています。しかし私たちの記憶は途絶えることなく残っています。これが生き物の体の中で起きていることなのです。
組織においても欠かせない「壊す力」
この「動的平衡」の考えを人間組織に当てはめてみると、組織を構成する「人」は常に入れ替わっていても、組織そのものは存続していくということになります。
これを地で行っている経営者がいます。DeNAの南場智子氏です。
南場氏は組織の中で「仕事ができる人材」「成果を出している人材」を狙い撃ちにして起業を持ちかけ、その組織から引き抜いてしまうという手法を取っています。
そんなことをしたら、リーダーを失ったその組織は潰れてしまうのではないか?と考えてしまう人もいらっしゃることでしょう。
しかし南場氏はこのように述べています。
大黒柱を意図的に抜くのは創業期からずっとやってきたことで、後悔したことがありません。必ず次のリーダーが生まれ、組織のみずみずしい動的平衡につながります。
<引用:「組織の大黒柱はあえて引っこ抜き、起業を後押ししよう」日経ビジネス>
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00343/090100004/?P=2
意図的に一度は組織を壊すような行動を取っても、人材=組織を構成する素材は入れ替われどそこには動的平衡が生まれ、新しいものとして組織は存続していくというわけです。
部分的に壊すことで存続する、ということの重要性について、福岡氏はこのように述べています。
実は、生命体は「わざと緩く作って、部分的に壊しながら作り替えていく」という戦略で、38億年もの長きにわたって秩序を維持し続けてきました。動きを止めず、小さな新陳代謝を重ねながらバランスを保つ。これを私は「動的平衡」と呼んでいます。
<引用:「『動的平衡』から構想する“能動的破壊”で生まれる組織の持続性」ハーバード・ビジネス・レビュー>
https://dhbr.diamond.jp/articles/-/7236?page=2
小難しくなるのでここでは詳細は省きますが、自然界には「エントロピー増大の法則」というものがあります。ざっくり言えば、時間は常に「無秩序」に向かって動いているというものです。
その中を通り抜けていく「組織」にとって、時間が無秩序に向かって経過しても自分達が秩序を維持するために「壊しながら作り替えていく」ことを生命体は続けてきたというわけです。これは生き物の体も組織も同じことではないでしょうか。
中枢神経は電話局に過ぎない、分散化組織こそ強み
また福岡氏は、「中枢神経」について面白い言及をしています。
脳が「中枢神経」と呼ばれていることもあり、体は脳を頂点とした中央集権であるかのように誤解している人は多いのですが、脳は末梢から情報を受け取って、変換してまた末梢に返す電話局のような役割を担っているにすぎません。実際、ほとんどの生命体は脳がなくても何の問題もない。脳からの指令がなくともローカルの問題をローカルでちゃんと解決できるからです。肝細胞はお酒を分解するし、筋細胞は筋維を収縮させて力を発揮する。環境の変化を察知したら、その場で処理するのが一番早いし確実です。
<引用:「『動的平衡』から構想する“能動的破壊”で生まれる組織の持続性」ハーバード・ビジネス・レビュー>
https://dhbr.diamond.jp/articles/-/7236?page=3
これは極論ではありますが、人間組織もこのように「脳からの指令がなくともローカルの問題をローカルでちゃんと解決できる」形であるほうが、環境の変化にいち早く対応できるものとなるでしょう。
WBC日本代表の様子を追ったドキュメンタリー映画の中で、栗山監督が「あえてキャプテンは決めません」と選手たちに告げるワンシーンがあります。
もちろん「監督」という意思決定者は存在しますが、チームの形を作っていったのは特別な誰かではなく、ひとりひとりの選手たち自身だったというわけです。
変化できない組織は次々と時代に取り残され淘汰されていくことは明らかです。
そうならないために、常に動的平衡にある組織のあり方について自然界から学んでみるのも良いことだと筆者は思います。
2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。
取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。